うんことカレーの見分け方を発見した
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肛門から出てくるのはうんこでしょw頭おかしいのか? 肛門から出てくるのはうんこ、そこは押さえとかなきゃいけない
なのにどうして鍋にうんこのあることがありしかも美味いのか、これが問題だ カレーを食べる→うんこが出る
この時のうんこはカレー
つまりうんこ=カレー
うんこを食べる→カレーが出る
肛門から出るものはカレーである
あれ?間違ってなくね? 食器に盛られるか便器に入るかするまで「カレーでもありうんこでもある」という量子的な存在なのかもしれない つまりカレーという"何か"を作った段階から肛門からうんこという"何か"が出てくるまでの過程でその"何か"はカレーなのかうんこなのか誰にも観測できない状態が続くということか
シュレーディンガーのうんカレ問題ですね 原理的な領域から離れ、もっと卑近なことに関して言えば、うんこを形成する「中身」に消化不良のカレーが混ざることもあればカレーの中にうんこが混ざることだって日常茶飯事なわけですよね 成る程、カレーを食った牛のうんこで育てたニンジンをカレーにしてうんこ出したらそれはカレーってことか
つまり牛のうんこはカレーなんだな
お前ら頭いいな ひとはパンだけによって生きるのではなく
神の尻から出るひとつひとつの言葉によって生きる
うんことカレーを分けて理解なんて出来ない あれ、途中までなんか色々こむつかしいこと言ってたのに
けつ論は単純なんだな
やっぱ基本はシンプルってこと? ハイデガーも「単純なものほど難しく多くの言葉を必要とする」的なこと言ってる
うんことカレーはどうしても「同等」のものでありわれわれには見分けが付かないわけだが、しかし「同じ」ではない
なぜなら「うんこはカレーである」という命題が真ではないということの直観はわれわれを当惑させる
うんこ/カレー は量子論的存在者である、というわれわれのアイデアはそれに対して一定の解決を与えるものだ
しかし、われわれはそんな不気味な理論的仮設に頼らなくても、うんこあるいはカレーに直接に触れたとき、その「存在」にいつも安心感を得るものではないか!
うんこあるいはカレーの持つ懐かしい感触、匂い、そして味わいがわれわれを安心させ、それにより「それ」がいったい何であるのか、
つまりそれについて事態はいったいぜんたいどうなっているのかという問いが生まれさえしなかったわけだけれども、われわれが哲学的に問い量子論に問い合わせた現状にあっても、あの安心感はそもそもどこから性起しているのであろうか!
フロイトは論攻「不気味なもの」において、その構成要件に「懐かしさ」を挙げている
うんこ/カレー が量子論的なものであるとして、もしかすればその不気味さと懐かしさは強く結びついているといえるのではないか? やめろ!誰だ!
文学的、かつ納得させられる理路整然さで
私たちのうんこへ欲望をさらけださせようとするやつは!
うっとりさせんな! 田中さあん!田中さあん!トイレットペーパーが尻毛にくっついてますよ! うどんにカレーかけてもちゃんとしたカレーうどんにはならないけど、うんこかけたら、やはりカレーうどんではなかったにせよかなり美味しかった じっくりひりだしたカレーお徳用
プロ顔負けの背徳味 この前ナンうんこ久しぶりに食ったらうまかった
ナンの甘味とうんこの旨味の融合、奥深く濃厚な味わい
あれは癖になるね 口に運んだ時点でウンコの素なわけだし半分ウンコみたいなもの。食べる前からウンコ化は始まってる 私もうんこだった。。
そーか、じゃあまず何がウンコなのか、定義しないとだな そうだな、うんことは何か?そしてカレーがうんこではないことの証明が必要 カレーはうんこである、ということの矛盾を示せば良い カレー=ウンコの証明、所謂ウンコカレ予想は数学界における未だ未解決の問題であり多額の懸賞金がかけられている。解けた者にはフィールズ賞が与えられる。 俺はもんじゃ焼き派だ
たまに電車内とか路上で食わずに放置されてるのあるけど勿体無いから最後まで食えよ っで、なんだっけ?もんじゃ焼きとゲロの見分け方だっけ?
んーー、確かに難しいなぁ 食い入るやうに見つめながらコーヒー味のカレーを頂く >>53
いやー、ばれちゃいましたか?流石目がよく利きますね。見た目通り若輩者ですがこれからも
きさまのご指導とご鞭撻をいただきますよう、よ
ろしく申しね お前らこの言葉を知ってるか?
うんこ喰ってるときにカレーの話すんなよ
俺はこの言葉を聞いたときに衝撃を受けた
俺たちはカレーじゃなくうんこを食いうんこではなくカレーを出していたんだよ カレーを食べられない程に貧乏で、仕方なくうんこ食ってる人の前でカレーの話しちゃっただけじゃないの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています