>>734
この経緯を理解するためにいくつかの重要なポイントがある

・西安事件
 第二次上海事件から約1年半前に起こったのがこの西安事件。蒋介石は張学良によって西安で拉致され、共産党の手に落ちた。
 この時に密約されたのが、国共合作と日本軍を戦争に引き釣りこむこと。

・トラウトマン工作
 上海を防衛した日本政府が即座に開始したのがこのトラウトマン工作。国民党との和平工作であるが、この後に及んでも日本政府は戦闘拡大を望んでいなかったことが分かる。

・対支一撃論
 陸軍の重鎮、永田鉄山の提唱した大陸戦略だが。挑発やテロ行為を繰り返す中国に対して、一撃加えて講和し
 南方を安定させようという物。ソ連が最大の敵であるという前提を知っていれば非常に理解出来る。
 永田が暗殺されたこともあり実際に採用されることは無かったが、第二次上海事変での反撃や、南京への追撃もこの「対支一撃論」が影響していたと思われる。
 陸軍には永田暗殺後も永田の信奉者が数多くいた。