石坂敬一さんが死去 ビートルズ、矢沢など手がけた音楽プロデューサー

 元音楽プロデューサーの石坂敬一さんが亡くなったことが31日、分かった。71歳だった。洋楽では
音楽グループ「ザ・ビートルズ」、ロックバンド「ピンク・フロイド」、邦楽ではロックバンド「BOOWY」、
松任谷由実、矢沢永吉らを手がけたことで知られる。

 1945年に埼玉県で生まれた石坂さんは、幼少期に東京・渋谷に転居。音楽会社に勤めていた父の
影響もあり、幼いころから音楽や映画などに親しんだ。進学した慶應義塾中学校が英語教育に力を
入れていたこともあり、米軍基地の放送FENなどを聴き、生きた英語に触れるように。68年に
東芝音楽工業株式会社(現ユニバーサルミュージック合同会社)に入社し、その後、ビートルズを
担当していたディレクターのアシスタントを務めた。

 ブリティッシュ・ロックや、ブリティッシュ・ポップを担当するようになると、ピンク・フロイドのアルバム
「Atom Heart Mother」に「原子心母」と邦題を付ける斬新なアイデアで、「日本の洋楽」を定着させた。
音楽会社「ユニバーサルミュージック」では会長、同「ワーナー・ミュージック・ジャパン」では社長を歴任し、
2015年には、旭日中綬章を受章していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161231-00014595-kana-l14