>>58
よく海外の人文系にかぶれた批評家ワナビーが、deconstruction、deconstruction使いたがるんだが
(厳密に言えば脱構築という概念はデリダなんかのポストモダン哲学における述語で
こういう連中が広義の意味で使うたんに換骨奪胎という程度の意味でしかない「脱構築」とはまったく意味が異なるのだが)
この作品のどこに脱構築的な要素があるんだろうか?

こういう読み手の存在を前提にしたメタネタ(読み手が受け取っている媒体についての既成概念への批判も含めて)
ってのは、別にこのキモオタが発明したわけでも、初めてやってみせたわけでもなく
上述したように日本のエロゲがずっとやってきたこと
基本的にdoki doki literature clubのアイディアのほとんどは君と彼女と彼女の恋と、イリス症候群から来ていて、
そこに彼らが称賛しているようなVNという媒体における革命性はない
もし西洋人がそこにオリジナリティなり媒体そのものへの批判的なメタメッセージを読み取るとしたら
それはただ単に彼らが歴史に無知なだけだろう