●荒川は人がつくった川

本日10月12日は、荒川放水路の通水100年に当たる。王子駅(東京都北区)近くの「北とぴあ」の展望ロビーからは、直線的で幅広い荒川と、蛇行しながら並走する隅田川の姿が見えるが、これらの流れが現在の形となったのはごく最近のこと。荒川は人々が作り上げた人工の川であり、その背後には多くの努力と犠牲が積み重ねられてきた歴史がある。

京浜東北線の上野駅から赤羽駅の間には、波によって削られた崖(海食崖)が続いている。この崖は縄文海進時に形成されたもので、かつてこの地が海であったことを思い起こさせる。

【中略】

●隅田川の流れを放水路で東京湾へ

明治時代に入り、「富国強兵」のスローガンのもと東京は近代都市への歩みを進めた。隅田川沿いには工場が立ち並び、人口が急増したことで市街地も拡大した。しかし、荒川(当時の隅田川)は依然として洪水のリスクを抱えていた。特に1910年8月の洪水では、日本堤や隅田堤を越えた氾濫水が東京市街地にまで達し、浸水家屋は27万戸、被災者は150万人に上った。これは未曾有の被害であり、東京の治水に対する考え方が大きく変わる契機となった。

こうした自然の猛威を抑えるため、荒川放水路の開削工事が始まった。放水路は岩淵から東京湾までの延長22キロメートルにおよび、川幅は上流部で455メートル、河口付近では588メートル、水深は約3~4メートルであった。


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橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
10/12(土) 12:42
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