資料館の展示を説明する飯田敬文さん=2020年3月17日、和歌山県紀の川市、藤野隆晃撮影
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西光万吉(西光万吉顕彰会提供)
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 人の世に熱あれ、人間に光あれ――。この一文で有名な、日本初の人権宣言とされる「水平社宣言」。宣言を起草した西光万吉(さいこうまんきち)(1895〜1970)が20日、没後50年を迎えた。西光の意思や思想を現在に伝えようと、ゆかりのある和歌山県紀の川市では有志が取り組みを進めている。

 奈良県で生まれた西光は、部落解放運動にかかわり、1922年に水平社宣言を起草。戦時体制の強化などに伴い、奈良県で運動に対する弾圧が厳しくなったため41年、妻の実家があった現在の紀の川市へ移り住んだ。

 戦後の西光は同市を拠点に、部落解放運動だけでなく、平和運動にも取り組むようになった。戦争は最大の人権侵害であるという認識と、水平社が戦争遂行の一部を担ったことに対する反省などが理由だ。

 平和運動で西光が唱えたのは「不戦和栄」。戦争を起こさず、途上国への積極的な支援などによって共栄を達成するという思想で、世界平和と全人類の平等を目指した。西光は地域住民や地元選出の政治家らに呼びかけ、戦争によって国内外に大きな被害をもたらした日本が、不戦和栄の実現に貢献する意義を説いた。

 約5年前、紀の川市の有志らが中心になり西光万吉顕彰会を立ち上げた。かつて住んでいた場所に資料館を開き、遺品などを集めて展示。命日の3月20日前後には、毎年しのぶ会を実施するとともに、西光を紀の川市の名誉市民にする運動などを進めている。

 顕彰会の代表理事の一人、飯田敬文さん(67)は、西光の思想は現在でも力を持つと考えている。平和なくして人権運動は成り立たず、その逆もしかりと訴えた西光。飯田さんは「人権と平和という問題が不可分であるという考えは、現代でも重要だ」と力を込める。

 没後50年の今年は、規模をより大きくして追悼行事を実施する予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期が決まっている。時期は未定だが、来年の命日までの実施を目指すという。資料館の見学は要予約。問い合わせは顕彰会事務所。(藤野隆晃)

朝日新聞デジタル 2020年3月27日 9時30分
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