旧中山道とされる場所で検証する岸本館長(右)ら=上松町で
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上松町観光協会は十日、町内を通る旧中山道のうち正確なルートが分からない区間を対象に、専門家を交えて実地調査を行った。古地図を片手に山林を歩き回り、付近の住民から話を聞くなどして江戸時代後期の道筋を検証。今後の観光振興に生かす。
街道が分からなくなっているのは町内を通過する旧中山道十キロ余りのうち、新茶屋地区から笹沢地区までの約五百メートル区間。調査に同行した中山道69次資料館(軽井沢町)の岸本豊館長(75)によると、日本橋から京都三条大橋までの旧中山道で道が分からないのは、この区間だけだという。
一行は新茶屋川の岸にある人工的に積まれた石垣を確認。今年一月に住民有志が発見した石垣で、古い地名と「中山道分間延絵図」などの古地図と照らし合わせた結果、川に掛けた板橋の橋脚だと特定した。橋脚を基点にすでに失われた道筋を検証した。
また、本格的に道路整備が進んで道が変更された明治初期の地図を参考にしながら、林道と旧中山道を区別する作業も進めた。道路工事などで一部の区間が崩れ落ちていることも判明した。
町観光協会は未調査区間を調べたあと、マップ作りやウオーキングツアーなどを企画する。
新茶屋地区に住居があった畑家の畑政市さん(80)=同町本町通り=は実地調査に協力し「新しい道ができる度に廃れていった場所がある。旧中山道を調査することで、昔の地名が復活するのはうれしい」と笑顔を見せた。
岸本館長は「崩れてしまった所は残念だが、実際に歩いて住民の方の話を聞きながら検証できた。道の特定には、いろんな意見を出し合うことが必要だ」と話した。
(中田弦)
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