朝日新聞デジタル 2018年11月7日16時30分
https://www.asahi.com/articles/DA3S13759288.html

 朝鮮半島からもたらされた「渡来文化」が、古代の地域社会にどのような影響を及ぼしたのかを考える企画展「古墳時代群馬の渡来文化」が、群馬県高崎市の市観音塚考古資料館で開かれている(12月2日まで、月曜休み)。

 会場で驚かされるのは、剣崎長瀞西(ながとろにし)遺跡や蔵屋敷遺跡などで出土した大量の「韓式系土器類」だ。この土器は、外側から板でたたいて土器の生地の空気を押し出す「たたき」技法を用いて作られるのが特徴で、米などを蒸す甑(こしき)や煮沸用の土器に特色が認められる。

 これらは5世紀以前には存在しなかった「竈(かまど)」と共に日本列島にもたらされることから、渡来人やその子孫が自らのアイデンティティーを示すものとして使っていた可能性が高いと考えられている。

 展示ではこのほか、地蔵山古墳群から出土したサルポという朝鮮半島製のスコップ状農具や倉賀野万福寺遺跡出土の鉄鐸(てったく)(鳴り物の一種)、上丹生屋敷山遺跡出土の鉄てい(てってい)(短冊状に加工された鉄素材)などの遺物を通して、朝鮮半島と、上野国(かみつけのくに)と呼ばれていた古代の群馬県、さらにはそこに暮らした渡来人との関わりを丹念にたどる。

 渡来人は須恵器という新式土器や鉄器の生産技術、馬の飼育方法などを日本にもたらし、生産力を飛躍的に高めたとみられるが、こうした現象は「先進地」の畿内だけにとどまらず、古代の上野でも起きていたことがよくわかる。中規模だが、佳品の展覧会だ。(編集委員・宮代栄一)