次男宅で発見された都内の地図やマッチ、黒縁眼鏡=10月、静岡市葵区(関係者提供)
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 1936年2月26日、東京で国家改造を目指す陸軍青年将校らがクーデターを起こした二・二六事件。事件の首謀者の一人とされた安藤輝三大尉(1905〜36年)の遺品がこのほど、静岡市葵区に住む安藤大尉の次男宅から発見された。

 安藤大尉は歩兵第3連隊第6中隊の兵約200人を率い、鈴木貫太郎侍従長官邸を襲撃した。事件鎮圧後、安藤は反乱罪で銃殺処刑された。

 見つかったのは当時、携行していた都内の地図や、拠点にしていた料亭「幸楽」のマッチと支配人らの名刺、たばこ、愛用の黒縁眼鏡など約50点。事件後に拳銃自殺を図って運ばれた病院から家族に返されたとみられる。

 処刑前日の36年7月11日に、両親や兄弟らに宛てた遺書と処刑当日の朝に書かれた絶筆の遺書も見つかった。「父上母上 心安らかにいませ 輝三は永遠に死せず」「両兄上様 最後に再び御多幸を祈りします」などとしたためている。

 遺品の初年兵名簿には、安藤が指揮を執った歩兵第3連隊第6中隊の兵一人一人の年齢や出身地、個人の特徴や職業が記載されている。若い将校や下士官に慕われた安藤の人柄が見て取れる。

 二・二六事件で当初、襲撃が計画されていた元老西園寺公望が建てた興津坐漁荘(同市清水区)のガイド役の男性は「国賊と呼ばれたこともあり、事件への関与を隠すために処分したがる遺族もいただろう。実物は見たことがなく、貴重なのでは」と話した。

 遺品は現在、安藤大尉の甥の安藤徳彰さん(72)=東京都=が保管している。徳彰さんは「公的な施設で保管してもらい、次の世代にも伝えてほしい。事件の背景を考え、今の世の中について考えるきっかけにしてもらえれば」と話した。

 <メモ>二・二六事件 陸軍の青年将校が「昭和維新」を唱え、陸軍部隊を率いてクーデターを起こした。首相官邸などを襲撃し、高橋是清蔵相ら政府要人を殺傷した。

静岡新聞 2017/12/29 06:55
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