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葱生城跡(大阪市旭区)
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葱生城(なぎじょう)跡 (大阪府大阪市旭区生江3丁目27 常宣寺)

織田信長は、永禄11(1568)年に足利義昭を奉じて上洛を果たしたが、畿内には三好三人衆ら反信長勢力が残っていた。
元亀元(1570)年、本願寺はそうした勢力とともに信長に敵対する道を選び、10年に及ぶ石山合戦が始まった。
葱生(なぎ)城はその際に本願寺側が周辺の防衛線として51か所に築いた出城の一つであったと考えられている。
葱生は「薙生」、「荒生」とも書き、「東成郡誌」には「大字荒生の東方に古城址ありと伝ふ」とある。
また、平安時代以降、榎並荘という荘園を形成していた村の一つであり、
石山合戦の際には、この榎並庄の稲田を刈って、それを軍糧として本願寺に献じたという、
当地はこのように本願寺教団と関わりの深い土地であったが、いつの頃から拠点となったのか、
またどのような城郭であったか明らかでない。