因みに
大日本帝國の陸海軍大将より上に
統治権の総攬者として天皇を
「大元帥」とした
のは、流石に廃仏毀釈の蛮行をしでかした仏罰を恐れた?w陸軍を牛耳った長州の連中が
外敵退散、国家鎮護の「尊格」である
大元帥明王の名を借りた命名だろう。

明仁天皇は「自分は火葬を望む」とか仏教式志向も匂わせる発言をした。
生前譲位の直近の前例である光格天皇の大嘗祭を含む儀式の前例の詳しい調査をさせたのも
大正期に完成した、幕末の復古神道→国家神道の連中がシナ、朝鮮からの外来でない
日本独自の古神道なるものがあったことにしたい!wwwと必死こいて
どこの野蛮国にもあるアニミズム、トーテミズム、シャーマニズムの自然崇拝の流れ
古代の物部氏の司った「かんながら(かむながら)の道」を勝手な想像で、日本語を表現する文字すら無かった時期の
儀式をテキトーに創作してしまった「国家神道」スタイルのままと同じなら
何も二條家文書の真言密教式の大嘗祭の記録を調査させる必要も無かったわけでw

宮内庁の幹部なんてもんは警察庁や外務省からの出世の途中の出向組が「自分の在職中にヘマをしなくて無事過ぎればいい」という
事なかれ主義で
テキトーに大正期の国家神道スタイルの大嘗祭を経費節約に「おぼめかして」
旧江戸城二の丸にプレハブ囲いの安っぽい「大嘗宮」建てて誤魔化すわけだw