>>956
>チッソは元々日本で発電所を作っていたそうだね

水俣の地は元々塩田で栄えた街だったのだ。それが日露戦争後に塩が政府の専売となる。 
水俣は産業を失い失業者が大量にあふれる。

別に塩を政府の専売にしてもいいんだけど、水俣から塩田を取り上げたのかが問題ね。
かわって塩作りが盛んになるのが久子の実家のある方=長州なのですよね。
要するに日露戦争で日本が貧乏になったので長州が政府の強権をつかって「塩」を我が町に引き込んだ。
国中が疲弊していたはずなのだけどとりあえず(当時の政府=長州が)
我が故郷だけは豊かにしようって目論んだのだと思う。

水俣は塩を作ることまかりならんことになってしまった。
それで衰退した街を復興させるために明治の終わりに水俣市は「鹿児島=薩摩」の
曾木電気を誘致する。
水俣には側の山に良い滝があってそこに発電機をおけばそのまま水力発電機所なった。
この発電能力で電気化学工業を興したのが 日本窒素肥料の基なのだ。

昭和期にはいり、日本窒素肥料はぐんぐん業績を伸ばし新興コンツエルンとして
昭和の経済界に君臨することになる。
なぜ日窒がここまで伸びたかというと、これは政府の保護をうけたからだ。
結婚により長州閥を抑え込んだ昭和天皇は薩摩関連企業を保護したのだ。