0833名無しさま
2017/10/05(木) 11:53:45.40ID:eTn6V7/G理由はいくつかある
1・肖像画の顔がよく似ている
2・体格がそっくり
二人ともあの時代にしては相当の巨漢
(昭和天皇も一説に180ぐらいあったらしい)
3・二人とも写真が残っていない(残していない)
4・二人の間に交わされたこまやかな情愛が到底他人とはおもえない
5・昭和天皇の薩摩へのこだわり(それが結果的に水俣問題へとつながることになる)
最後に
6・親子として自然な年齢差
うぃきによると 最初の結婚はなんとなくわかれてしまったらしい。
>1度目は嘉永5年(1852年)、28歳のとき両親にすすめられて伊集院兼寛の姉すが(須賀)と結婚した。
>しかしながら藩主の代わりに江戸におもむくなど隆盛は不在が多く、彼女は実家に帰り別れた。
現代人としてならとにかく、あの時代の武士の娘としてはこの行動は不自然だ。
新婚早々の旦那が単身赴任だからといって、「こんなの結婚生活じゃない!」とばかりに
実家にもどるだろうか?
自分はこの妻は実家で子を産んでいたのではないかと思えるんだわ。
そうなると明治天皇(1852年11月生まれ)と ほぼ同世代になるのではないか。
(1歳ぐらい下になるかもしれない)
後年生まれた西郷の嫡子は寅太郎 寅の字を使ってる。
すがが生んだかもしれない最初の子に 寅の字をつかった名づけをした可能性は高い。