このスレを読んで、暇だから総評してみるとこうなった。

まずは、大抵は机上の空論になりがちな音楽理論というものを
こね回して遊ぶという楽しみ方がある。

対極として、秋元康の成功の秘訣話とか、ピコ太郎のような特異な成功話がある。

まるでその中間に、「実践のセオリー」というものだけを取捨選択し身につけていれば
それが最強なんだという主張がある。

この立ち位置が不思議だ。

「実践のセオリー」というものの絶対的な主張は、いってみれば
客観的な成功だとか、そういう評価には囚われずに、
自分なりに、こじんまりとしていてもブレないぞ、とういうような、
自分なりに納得した生き方こそが最強なんだ、という自己啓発的な主張と同じ臭いだ。

しかし、人間というのはもっと、こじんまりとした自己の枠内には収まっていない
ぐらいの大きなものに飲まれてみたいという欲望を持つ者は多いと思う。
それが資本経済を動かしている期待値のようなものだろう。

もちろん、ここでいう「大きなもの」とは、空論のままの理論のこね回し(終わらない探求)であったり、
自己が意図しないレベルの商業的成功への期待の事。ここでは同じ意義を持つ。