2時間ドラマ本数が激減!?

 テレビから2時間ドラマが消えている今年3月で1989年から30年続いた2時間ドラマの老舗枠TBS系「月曜名作劇場(旧・月曜ゴールデン、月曜ミステリー劇場、月曜ドラマスペシャル)」が終了した
かつては同枠のほか、日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」(2005年終了)、テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」(2017年終了)などの枠が多数あり、最盛期は2時間ドラマが週に8枠、月に約30本放送された時期もあった
しかし、今年4月はたった5本、5月に至っては2本のみ(地上波のみ再放送、連続ドラマの拡大スペシャル、複数回にわたる特別ドラマは除く=筆者調べ)と激減している

 これまで100作品以上の2時間ドラマに出演し、連続ドラマ「民王」で体が入れ替わった首相親子に翻弄される官房長官・刈屋孝司役、
「3年B組金八先生」の金八先生の同僚教師・北尚明役など視聴者の記憶に残るキャラクターを数多く演じてきた俳優の金田明夫さんは「2時間ドラマは俳優として、
しっかり役を作って勝負ができる場でもあった全てなくなってしまったわけではないが、寂しい限りです」と絶滅寸前の状況に肩を落とす

視聴者離れの要因は?

 なぜ2時間ドラマは作られなくなってしまったのかその最大の原因は“パターン化”による視聴者離れだ

 かつては殺人事件が起き、刑事や探偵などがそのミステリーを解き明かし、断崖絶壁に追い詰められた犯人が人を殺すに至った心情を吐露するのが定番だった

 「浅見光彦」シリーズなど数多くの2時間ドラマを手掛けてきた矢口久雄プロデューサーは「視聴者を離さないために、スタートからCMを20分は入れないその後は3分CMを流して、
3分本編、またCMと細切れになることもあったそしてCMや時間の“またぎ”のタイミングで殺人事件やお色気のある入浴シーンを入れるかつてはこれで成功していたのですが、
本来の作り手の努力はそこじゃなかった」と内容だけでなく、パッケージ全体がパターン化していたことを指摘する

 金田さんも「ドラマがあまりにも均一化してしまった俳優から見ても『何だコレ?』って悲しくなる作品もありましたからね一回、淘汰される時期なのかもしれません」と質の低下を憂慮していたというでは、一体いつから歯車が狂いだしたのか
1月よりNHKで放送中の大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)は、きょう23日放送の第24回をもって、中村勘九郎演じる金栗四三(かなくり・しそう)を主人公とした第一部の最終回を迎える

 明治43(1910)年10月、アジアで初のIOC委員となった嘉納治五郎(役所広司)のもとにオリンピックへの招待状が届き、初出場を決めたところからはじまった物語
翌明治44(1911)年11月に羽田運動場でオリンピック選手の競技予選会が行われ、マラソンで“世界記録”を“更新”した、東京高師の生徒・金栗四三の誕生(明治24年8月20日)から日本とオリンピックの歴史をひも解いていった

(中略)

 女学生たちにスポーツをすすめ、全力・熱血指導で信頼を集めていく四三
スポーツが育ってきたと感じた治五郎は、日本でオリンピックを開催できるよう神宮外苑競技場の完成を急ぐ
その矢先、大正12(1923)年9月1日、関東大震災が発生した

 第24回では、壊滅状態になった東京の街の変わりようにショックを受けた四三だったが、“今、自分にできることは何か”に気づき、救援物資を届けるため、東京中を走り回る姿が描かれる
そして、スポーツで人びとを元気づけるために、復興運動会を開催するアイデアを思いつくのだった
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 震災直後の東京を再現したシーンを演じながら勘九郎は「ショックでしたねどうしたらいいかわからない、という気持ちでいっぱいになりました」と、振り返った
「震災という、本当にもう何を憎めばいいというか、何に怒りをぶつけていいかわからないものに、金栗さんは出合う
僕も3.11の時、九州で舞台公演をしていたのですが、今、芝居をやっていていいのか?と、本当に思いました
みんなで話し合って、僕たちにはこれしかない、芝居しかないと芝居を見て元気になってほしいというか、力が全国に伝わればいいなというのを信じて公演を続けました
それが金栗さんにとっては走ること、そしてスポーツの力でした」

 復興運動会のシーンは「懐かしい人たちも出てきてお祭りのような感じで、第24回の前半とは全然違う感情で終わることができて、すごく楽しかった」と語っていた勘九郎

 演出を担当した一木正恵氏は「勘九郎さんが3.11時に九州で公演されていた話も私の心の中に置きながら演出させていただきました