5月に山ができているのは、大津市で起こった交通事故で保育園児が亡くなった時だ。会見した保育園長を追及するような質問が出た時に「マスゴミ」が久々に浮上した。だがこの時のマスコミ批判はさっと終わったように思う。
今回はその時の倍以上のツイートが飛び交った。この一年間、大津の一件以外ほとんどなかった「マスゴミ批判」が完全に復活を果たしてしまったのだ。フェイクニュース問題が出て以降、取り戻しかけていた信頼を今回の件で一気に失ってしまったのではないだろうか。
「報道の常識」は本当に肯定できるのか、見直す時
筆者もこうして記事を発信する立場でもあるので、報じる内容に事実をできるだけ入れたい気持ちはわかる。ただ、このような悲惨な事件の被害者の名前を、とくに遺族が公表したくないと言っている時に報じるのは人間として間違っていると考える。
そして似たことがある時、いつも感じるのが「それでも報じる」とメディア側の言う「理由」の説得力のなさだ。
今回も出たのは「事件の全貌を伝えるには実名が必要」との言い分だが、実名がなくても全貌は伝わると私は思う。京アニの事件もこれまでですでに事件の全貌は大まかにわかっている。実名が報じられて「やっと全貌がわかった」と感じた人はいるのだろうか?
それに、お盆の時期に大きな話題になった「あおり運転暴行男」では被害者が殴られる場面が何度もニュースで流れたが、被害者の氏名はどのメディアも報じなかった。
それについて「事件の全貌が明らかにならない」と感じた視聴者読者はいなかっただろう。この件では被害者の名前を報じようとするメディアはいなかったのに、なぜ京アニ事件では明かすべきと言うのだろう?
(略)
「マスゴミ」という言葉が再び当たり前になってほしくなければ、新聞テレビ各社は議論すべき時だ。必要なのは、原則を持ち出すことではない。あらためて議論することだ。本当に実名報道は当然のことなのか、もう一度みんなで考えてみるべきだ。
それを怠ると、また7〜8年前のようにマスゴミ呼ばわりされ続けるだけだと思う。