ミ サ イ ル 攻 撃


最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった、
そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、
(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)
そのうちの一人(12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、
一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。
そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真だがこれはなんなのか?
なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?

「資料1」の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、
123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。

事故当時のニュース映像で日航側の事故調査員が金属片を回収しようとして証拠隠滅の容疑で自衛官に連行されたが、
自衛官がなぜ連行なんかしてるのか関係者の間で疑問だった、その後この映像は一切流れることはなかった。
このとき調査員の回収しようとした金属片も日航機には使用されていないはずの「オレンジ色」の破片だった…

ここで一番下の写真を見ていただきたい、
自衛隊の採用している二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機である…
https://plaza.rakuten.co.jp/topsecretx/diary/200802230000/