【贅六】
幕末大阪の富裕層といえば学は無く、商売は使用人に丸投げでなにも知らず、
関東の富裕層のように剣術を嗜む胆力も無し
当時の無気力都市大坂からは人材が生まれる土壌というものがなかった

【近代大阪】
旧幕(江戸)がつくった土壌に 五代(鹿児島)、渋沢(埼玉)が種をまき 有能な中四国九州人が水をやり 実った果実をドヤ顔で食う無能大阪人

【幕末の大坂商人】
世間饑飢に苦しむとも格別の施しもいたさず、執拗して人の誹りを得、英雄豪傑の世となりては、あへなく奪ひ取らるも知らで、いたづらに番をいたすの愚痴なるものばかり多し。
(清河八郎・山形県出身、『西遊草』より)

【明治の大阪商人】
明治4年頃の大阪の商業家などは)在官の人に対する時にはただ平身低頭して敬礼を尽くすのみで、学問もなければ気象もなく、新規の工夫とか、事物の改良とかいうことなどは毛頭思いもよらぬ有り様であった。
(渋沢栄一・埼玉県出身、『雨夜譚』より)

【東洋のマンチェスター】
なぜ大阪が『東洋のマンチェスター』と呼ばれるまでに成長できたのか?
埼玉出身の旧幕臣・渋沢栄一が大阪に紡績会社を設立させたからだ。

【大阪紡績会社】
埼玉・深谷出身の渋沢栄一は近代的な機械設備を導入した紡績会社の必要性を提唱。旧大名家や関東の綿商人らから出資を募り同社の発足にこぎつけた。

【道徳経済の合一】
 渋沢に限れば、何が偉業かといえば、一番は経済モラルの関東的価値観を幼児のようなかけだしの日本という国に根付かせてくれた事だ。渋沢がいなければ、日本は(近江贅六風)の金さえ儲かれば何をしても良い。(大坂贅六風の)金を持てば勝ちだ、金持ちが全てだ、その為にしか仕事をしない。と言う間違った関西風哲学が定着して、二度と直せなかった事に成っただろう恐ろしい現実だろう。
 日本は政治にしても軍事にしても、大コケして迷走している。行政もそうだ。だが、経済だけは基盤がしっかりしている。これはひとえに埼玉県深谷の渋沢翁が経済モラルを定着させた事が非常に大きい。