横浜のものの喩え〜B

「万里の長城」

横浜に首都高速道路が建設された際、横浜駅東口の目の前に巨大な壁が立ち塞がるように高架橋が現れた。
当時の横浜市都市計画の顧問技師であった田村明氏はこの威圧感ある景観を痛く嘆き、
近くにある万里橋の名になぞらえて、まるで万里の長城のようだと揶揄した。
これが教訓となって関内と関外を区切る吉田川跡地の首都高は高架から地下へ計画変更された。
しかし今になって、世界遺産の万里の長城を悪い喩えに用いることに異論も起きている。