2030年代に中国がアメリカを圧倒して、中国依存が著しい大阪が東京にとって代わり日本国を仕切るようになると、大阪は日本国民から再び大大阪と呼ばれるようになるでしょうね。

100年前「大大阪」がけん引した日本 栄光を振り返る
関西タイムラインまとめ読み
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOJE215PP0R21C21A2000000/
約100年前の大阪は、面積・人口で東京市を上回る日本一の都市「大大阪」と呼ばれた――。関東大震災被災者の移住、市域拡張を背景に、1925年の大阪市は人口211万人を数え、繊維産業の集積から「東洋のマンチェスター」とも称されました。当時のメインストリートは御堂筋ではなく、北浜の金融街に連なる堺筋に百貨店がひしめきました。1924年の甲子園球場誕生による野球ブームは現代につながるスポーツ用品メーカーを育成。一方、環境悪化と人口爆発で郊外開発が進み、阪神エリアで「園」をつけた地名の多さが往時を伝えます。「大大阪」の軌跡を振り返ります。