>>575さん
味噌っかすさんは近代の大阪が大大阪と呼ばれるほど大繁栄した歴史的条件を知らないんだね。
近代大阪が日本の商工業の中心地に大発展した理由の一つは大阪が東アジアとの濃密な交流があったからですよ。

「大大阪」はなぜ衰退したのか? 過去の経験から私たちが学べること
https://news.yahoo.co.jp/articles/13251f2b137ef031e5bad3bdb2866c1f2c4e4cb2
「大大阪」に象徴される戦前大阪の経済発展は「工都」と「商都」の好循環に支えられていた。

 機械工業集積の形成は谷町機械商街、新町・立売堀機械工具商街、溶接材料商社の活動に支えられていた。戦前の大阪経済は帝国的経済圏という大きな枠組みの中で、近隣諸県、西日本一円、さらに東アジアの各地域から集まった多様な人材に支えられて日本最大規模の産業集積を形成・展開していった。

 東アジアの中の大阪は他地域との太い物流、人的交流を内実とする開放性、産業・商業集積の展開、多様な工業教育機関、国立・公立の試験研究機関などが織りなす中小企業育成・技術向上のための社会的ネットワークに担保された経済的自立性を特徴としていた。

 戦時期における繊維産業の縮小、軍需生産の拡大、官僚統制の深化、資源配分上の重点主義が大阪経済の「地盤低下」をもたらした。「大東亜共栄圏」構想は日本を中心とした位階的経済構造を強権的に生み出そうとする試みであり、「大大阪」を支えた開放性と自立性を掘り崩すものであった。