郊外の痛々しい薄っぺらさ
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私は生まれてから22歳まで京都に住んでいました。
24歳の時に東京にやってきましたが、この街に
憧れて、とか大好きだから、やって来たわけではありません。
「文章を書く」仕事で食べるには、日本の中で
この東京という街がもっともカンタンだと思ったからです。

だから、私は東京に対してちっとも敬意を持っていません。
むしろ、「つまらない街」という感覚の方が強いでしょうか。
また「アホがぎょーさんおるなあ」とか「バカでも出世できる」
みたいなマイナスの捉え方もしています。
まあ、アホは京都や神戸にもたくさんいましたが(笑)。

東京に来て、さらに驚いたのはその郊外の薄っぺらさ。
都心や近郊には、街としての個性がそれなりにあります。
それが自分にとって好ましいかどうかは別にして、
いちおうはその街なりの味わいがありますね。

また、郊外でも旧街道沿いの街には面白味を感じます。
例えば、旧中山道の宿場町であった浦和など、私は好きです。
ところが、戦後になって開発された郊外の街は、
もうどうしようもなく薄っぺらいですね。湾岸みたいです。

驚いたことに、16号線沿線の街はどこもみな同じような風景。
ほぼ区別がつかないくらいに同じような薄っぺらさ。
似たような商業施設にありきたりのマンション群。
駅前のつくり方も5パターンくらいのどれかに収まります。

多分、住んでいる人の属性も数種類の類型に収まるのでは
ないかと想像したりすると、ぶるっと背筋が震えます。
つまり、多様性のない社会を構成しているのです。