名古屋は寒村でしたwww

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重要視されない名古屋www


クッソワロタwwwwwwwwww
渋々かよwwwwwwwwww

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名古屋駅は名古屋市のみならず中京圏の発展に大きく寄与してきた。しかし、明治初期は政府から期待されておらず、明治版“名古屋飛ばし”ともいえるような計画が進められていた。

 1872年に新橋(後の汐留)駅−横浜(現・桜木町)駅間が開業し、1874年には神戸駅―大阪駅間が開業する。その後、1876年には京都府の向日町駅まで線路が延伸。ここから、政府や鉄道当局は本格的に東西両都の鉄道を結ぶ計画を進めていく。
 政府内から東京と大阪を結ぶことに異論は出なかった。

それらの負の要素が東海道ルートを選択させた一因になったことは間違いない。しかし、名護屋を飛ばして鉄道建設を進めようとする政府に対して、名古屋区長(現在の名古屋市長にあたる)だった吉田禄在は不満を抱き、熱心に東海道ルートの優位性を説明した。その熱意は井上の考えを改めさせ、ついに政府の計画を覆す。つまり吉田の熱意も東海道ルートを実現した要因といえる。