名古屋なんて国策で発展させて貰っただけのお溢れ都市なw


http://www.eonet.ne.jp/~0035/sanpou.htm

近畿衰退化法案−「工場三法」

戦時統制体制として形成され、戦後においても存続した「40年体制」を利用して、
中央省庁は国策として、経営・企画・立案・情報等の機能を東京に集中させることに注力した。【注1】(ページ最下部)
http://www.eonet.ne.jp/~0035/memo1.htm
http://www.eonet.ne.jp/~0035/memo2.htm
http://www.eonet.ne.jp/~0035/memo3.htm

地方は、第一次産業と製造業の現場(工場)で生きていけ、というわけである。

ところが、近畿圏においてはその製造業でさえ制限されたのだ。
近畿圏の足かせとなったのが、いわゆる「工場三法」である。

近畿を対象とした最初の「工場等制限法」が制定されたのが1964年、
2年後の1966年に「中部圏開発整備法」が制定された。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S41/S41HO102.html

これは「制限」する法律ではなく、「開発整備」する法律であり、
ここにおいて製造業の近畿から中部へのシフトが、国策として図られていたのである。

【注1】
トヨタでさえ、東京本社に会長・社長が常駐している。