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(続き)
ある日、山岡鉄舟が指南役を務める道場の門弟が、鉄舟にこんなことを言った。

「私はこの道場に通う道すがら、お宮の鳥居に小便をひっかけてくることがあります。
しかし一度も罰のようなものが当ったことがありません。
悪いことをすると罰が当たるなんてのは、あれは真っ赤な嘘なんでしょうね」

すると鉄舟は大声を上げた。

「馬鹿者! お前はすでに罰が当っていることがわからんのか!」

門弟の話を聞いた鉄舟は、すぐさま門弟を一喝。
しかし門弟には、自分に罰が当たっているなどという自覚はまったくない。悪いことなど何も起きていない。

鉄舟の言葉の意味がわからず、門弟は不思議そうな表情をするばかりである。
その様を見て、鉄舟は諭すように言葉を続けた。

「いいか、そこいらに小便をひっかけるなんてのは、獣のやることだ。
人であり武士であるはずのお前が、小便をひっかけて平気でいるのは、すでに心が人の心ではなく獣の心になってしまっているということだ。
それを罰と言わずして何と言う。

悪をなしながら悪に非ずと思い、平気で生きてしまっているということが、罰なんだぞ。
あとから罰が当たるのではない。行為と同時に、罰は生じているんだ。それをお前はまったくわかっておらん」

鉄舟は、鳥居に小便をひっかけて後から罰が当たるのではなく、小便をひっかけるという行いができてしまうような心になっていること、そしてその心に引きずられて生きていることが、すでに罰が当たっていることに他ならないと、その門弟に伝えたのであった。