>>691
日泰寺ができるまで

 1898年、イギリス人のウィリアム・ペッペという人がネパール国境に
 近いインド北部で人骨の納められた古い壷を発見しました。
 その壷に刻まれていた古代文字を解読したところその人骨は仏舎利であることが判明し、
 当時インドを治めていたイギリス政府は仏教国であるタイ王国(当時のシャム)の
 チュラーロンコーン国王陛下に寄贈しました。

 ⇒インド北部で発見された仏舎利がイギリス政府からタイ国王に送られた
  その後タイ国王から日本に送られた。
 
 ⇒今時小乗仏教なんて言う言葉は、差別に当たるので使わない
  上座部仏教、南伝仏教という。

 ⇒仏陀が入滅された後、弟子たちの間で解釈の違いがあり各派に分かれた
  仏陀入滅後約500年してから大乗仏教と上座部仏教が分かれた。

覚王山日泰寺は釈尊の仏舎利を納めているので、入滅後500年で別れた大乗仏教と
上座部仏教との区別とは全く関係なし。
しかもタイが上座部仏教の国ということと、インド北部で発見された仏舎利とは関係なし。

〇全く仏教に対する間違った事実をレスをする外道