トンキンがこうなるのも時間の問題かな

 日本に最初にコレラが流行したのは文政5年(1822)で、この病気の手掛かりはなく、予防措置を取ることは全くできなかった。
36年後の安政5年(1858)コレラが再び流行した。
前年米艦ミシシッピー号がシナから日本に持ち込んだものである。
江戸に飛び火したコレラは、8月上旬から中旬にかけて蔓延し、葬列の棺が昼夜絶えることなく、大通りや路地につらね、どこの寺院も列をなした。
焼場では棺が所せましと並べられ、江戸だけでも死者10万〜26万人出たという。
第3次のコレラ流行は1862年で、江戸だけで7万3千人の死者が出た。