>>722
戦国時代で天下統一するには戦略や地政学的に占領していく順番がある。
名古屋から京都大阪を侵略するには安土城が重要になるし、石山本願寺を征伐して占領したらその場所に拠点を移す。
安土城にしても大阪城にしても一時的な拠点でしかなく後々移転すること前提の通過点でしかない。
どちらもそこでリーダーが死んでしまったから勘違いしかだちだが、どちらにしても長期的戦略の通過点でしかない。
短絡的思考のアホにはそれがわからない。
完全なる天下を取った家康が平和の中でじっくりと広大な関東平野にユートピアを作ることになったのは必然なんだよね。
平和な江戸時代になってから江戸城と名古屋城が重視されて国家プロジェクトで作られたのもそれが将来を見越した最終形態ということ。
要は関西は戦国時代に信長と秀吉に征伐された時点でオワコンなんだよ。水運時代も終わってさらに終わった。
尾張周辺は天下を見渡すのに最適だから武将が沢山出てきた。
全方位に便利な名古屋は全方位から攻撃される弱点にもなったので戦国時代の拠点には向いてなかったが、
平和な時代になってこそその全方位に利便性の高い地理的環境が真価を発揮していくことになった。
日本全土がコンパクト化していくこれからの時代こそ愛知の地理的強みは益々際立っていくことになる。