横浜のものの喩え〜E

「関内牧場」

第二次世界大戦で酷い空襲を受けた横浜都心部は、終戦後も長い間米軍に接収されて、
戦後の復興が他都市に大幅に立ち遅れることとなり企業の流出が相次いだ。
国内がオリンピック景気に湧く昭和39年、根岸線は開通したものの、関内はいまだ空地だらけで「関内牧場」と揶揄された。
しかしそれが教訓となって、都心部強化策として「みなとみらい21」計画の誕生に繋がっていった。