横浜の未知の可能性は、一つは米軍利用地だね。
それらが返還されると、土地が広くて地権者の問題がないだけに、
うまく利用法を考えると夢が膨らむ。

瀬谷に続いて山手の競馬場に接した米軍住宅地も。
あの競馬場は幕末に開港地の外国人たちが競馬を楽しんだ。
メーチニコフの『回想の明治維新』に写真が出ている
明治天皇も来ている。

横浜駅に近いノースドックが返るとすごいが返還は簡単でないかな。
こう考えると横浜はまだ戦後なんだね。
横浜はペリー来航だけじゃなく、大震災、戦災、進駐軍の接収など、いろいろ歴史を負っている。

ということで、横浜はあまりに強く過去を意識しているといったのは司馬遼太郎だが、
過去への意識も残しながら、未来への志向を基本に街を作って、その裏地のように歴史的なものを
残していくという戦略で、成功してきた(と一応いえるか)。
そして、新しい高層ビル街だけでなく、人間的な古い街、古い横町、路地なども残すなど、横浜に多様な表情をもたせる。
古いものが新しいものの中で新しい命をうけついでいく。
(他の再開発地域での失敗の前例に学んだところがある。)

朝鮮日報は横浜は都市再開発のお手本といっている。
他都市にも参考になるかも。