>>212
古代の大坂は「摂・河・泉」、即ち「摂津」(今の大阪府の中部及び北部(兵庫県の一部を
含む))、「河内」(今の大阪府の東部)、「和泉」(今の大阪府の南部)の3国から成っていた。
この古代の大坂に比べて、“大阪市愛”の人士が主張する大阪市の市域の何と狭いことか!

江戸時代には「三都」の一つ、「天下の台所」を築いた大阪の人たち、明治維新後は「三府」
の一つ、「大」大阪を築き、日本経済を支えて来た大阪の人たち、進取の気性に富み、気概と
誇りを持っていた人たち。
今の大阪市民の中にこれら昔の大阪人の精神を受け継いでいる人がどれだけいるのだろうか?