幕末から明治にかけての1868年(慶応4年)6月に神宮号を宣下されて熱田神社から熱田神宮に改められた。
1871年7月1日(明治4年5月14日)の近代社格制度の制定により、熱田神宮は官幣大社に列格した。
熱田神宮には「三種の神器の一つを祀っているから、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張があり、
同年7月には大宮司・千秋季福が伊勢神宮に準じた待遇にするよう政府に請願したものの、
この請願は却下されている。
次いで大宮司となった角田忠行も同様の請願を続け、
1889年(明治22年)までに伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置などが認められた。


伊勢と熱田は「一体分身の神」を祀る神社であり、日本国を支える2柱であるとさえされてきたのである。


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大都はつづく