>>782
適塾は医学の方面での貢献はあるが、大阪時代の福沢諭吉は適塾の医学には関心を示さず蘭学をやっていた

その後江戸詰めになり、衰退したオランダの古臭い蘭学ではダメでこれからは大英帝国の英語だと悟り独学で道を切り開いた。

諭吉にとって大阪はムダとは言わないが、踏台でしかなかったのです