みなとみらい21の始まりとなった昭和40年の「都心臨海部総合整備計画」は
かなり前進的で大胆な発想だったと思う。
当時、都心の関内はまだ米軍から返還されてから年数が浅く、空地も多くて、根岸線がやっと開通したばかり。
一方横浜駅は、東口は戦前のままで、西口の開発はまだ始まったばかり。
こういう状況の中で、横浜駅と関内の間を埋めて巨大な都心を造ろうという発想は、
当時としてはかなり大胆なものだったと思う。