関西というは本来ない。
朝廷や豊臣秀吉らが拠点にしてた畿内・五畿(大和、山城、摂津、河内、和泉)があって
江戸時代、江戸幕府は畿内・五畿と東山道の近江、山陰道の丹波、山陽道の播磨を
含めて上方筋と言ってた。
明治になって畿内と一部の近国を含めて近畿というようになった。