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なぜ東京の街並みはスラムみたいに汚いのか? 2
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0059名無しさん@お腹いっぱい。(SB-Android)
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2020/04/29(水) 23:41:41.78ID:T16ISrwn
東京人とは何か  

すなわち日本国の外に立つ「異民族」「蛮族」の意。

「ひな」は「鄙」ではなく「夷」であらわされていた。「東夷」も「東のひな」だった。
「夷」は、「弓大」(大は人のこと)「弓人」の合わせ字で、その訓はユミシである。
「あずまひと」のユミシとされ、転化してエミシとなる

「蝦夷」は、「東夷」すなわち「東国」の野蛮人に用いられたもので、日本の造語である。
「夷人」(ひなびと)として、「蝦」(エビとよんだ)字を冠して区別した。エミシの兄弟族ではあるが
その「未開性」への差別を「エビ」字であらわし、
エミシからの転化語のエビ人(し)→エビスとした。
0060名無しさん@お腹いっぱい。(SB-Android)
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2021/02/20(土) 12:38:41.69ID:rLwuQa8E
オールコック(山口光朔訳)『大君の都』岩波文庫,1962. [初出=1863年]
 かれらには建築と呼びうるようなものはない。……したがって、世界最大の都市のひとつである江戸の街路ほど、むさくるしくみすぼらしいものはない。大名の屋敷でさえ、同じような建て方の低い一列のバラックにすぎず、ただ屋根が高いだけだ。(下巻, p. 176)

グスタフ・クライトナー(小谷裕幸・森田明)『東洋紀行』平凡社東洋文庫,1992-93. [初出=1881年]
 実際に眺めてみると、期待した程のものではなかった。東京は大きな村という感じだった。そして、町の無数の貧弱な木造家屋の中に高々と聳え立っている帝の居城さえも、宮殿というよりもむしろバラックといった趣であった。(1巻, p. 289)
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