>>692
ミシュラン調査員も名古屋の敷居の高さを感じたのだろう


名古屋美人Wikiより抜粋

熱田神宮がある名古屋は古代から格式のある地域だったが、軍事的には強固な場所ではなかった。
名古屋を「大坂(大阪)への征西、後方の兵站地、西方勢力東侵の前線防御地として重大視」[6]した徳川家康は、徳川御三家の筆頭の地と定めると同時に、自らが名古屋に足を運んだ[7]。
そして緻密な「軍事計画」[8]の下、名古屋城と名古屋の街を作り上げたことで、江戸時代の名古屋は、名古屋城下に他地域の人間が簡単に入り込めないようになっていた[9]。


余所者文化の始まりである
江戸時代と言っても江戸終わって150年余り
東京五輪の頃はまだ江戸生まれがおそらく居たわけで
その血を受け継ぐその気質を受け継ぐ 者たちが今この名古屋で生きている
余所者(よそもの)という言葉は今もよく耳にするし
昔は余所物(よそもの)もあったとか
外国物=舶来物がまだまだ手に入りづらい時代は名古屋物か否かが目安
昔から物づくり優れた土地
名古屋物こそ天下くらいに思っていた人も居たであろう
非名古屋物=余所物
とても閉鎖的な気質が今も少なからずある
年配には尚更なこと

ミシュランガイド中々作りづらい土壌と言えるだろう