経済的な要求と文化的な合意形成のどちらを優先するかが日本における移民政策論争の対立点である。
移民受け入れなしでやっていけると主張することはもはや不可能である。しかし、彼らを受け入れること
も政治的にはひとしく不可能なのだ。その結果、製造業や農業のみならず、この高齢化国が絶望的に求めている
高齢者介護職に至るまで、仕事はあるけれども、働く人がいないという状況が進行している。
 その間も、義父の家の向いにある空き家の土地には竹が傍若無人に根を張り出した。空き家の増加と、
需要のなさのせいで、このタイプの家屋の市場価格はしだいに各地でゼロに近づきつつある。そのせいで
「日本は空き家を無料で提供している」というような噂がネット・メディアで世界に広まるに至っている。
 この話には半分の真実しか含まれていない。というのは、そういう放棄家屋でも修復し、
居住可能な状態に維持するためにはしばしば数千ドルの出費を必要とするし、固定資産税はきちんと課されるからだ。
しかし、だったら空き家にも多少の価値はあるのかと思ったら、それは誤解である。
これは「奇妙な国」日本にまつわる笑い話ではない。これは人口学的なメルトダウンに赤信号が
点灯したということであり、進歩よりも均質性を選んだ社会に下された刑の宣告なのである。
 最後に付け加えるが、トランプ大統領も選択があるという点については間違っていない。
アメリカの前にはたしかに選択肢が示されている。日本は均質性を選ぶか多様性を選ぶかという選択が
あり得るということの生きた証拠である。そして、日本が示したのは、均質性は滅びへの道であるということであった。
多様性について言えば、それが現在のアメリカが享受している活力と繁栄の機会を提供してきたことだけはわかっている。
 果たしてアメリカ人はどちらを選ぶことになるのだろうか?