「何としても水道が必要だ」

当時の神奈川県知事・沖守固(おき・もりかた)氏は1883(明治16)年、
イギリス工兵中佐のヘンリー・スペンサー・パーマー氏
(1838〜1893)に水道の調査設計を依頼

当初、神奈川県は、多摩川からの取水を想定
しかし、パーマー氏が強く主張する相模川からの取水案に決定
費用も労力もかさむものの、水量の豊富さと、将来の人口増・使用量の
増加を見越した「将来性の明るい」相模川案を選択したのでした