>>282
幕末に薩長が決起した際、尾張家は本来なら徳川家康の意志を受け継いで幕府を護る側に立つ存在だったが、
それをすると幕府の存在は護れるだろうが、日本そのものが外国に蹂躙されてしまう。
それを認識していた徳川慶勝は徳川御三家筆頭の輝かしい立ち位置を失うと分かった上で中立を表明した。
己のちっぽけな地位を護るためだけに将軍家に付いた者も少なくなかった事を考えると、これだけでも称賛に値する
 
その後、明治政府が廃城令を出したせいで日本全国の貴重な城郭類が次々と取り壊されて行く中、
名古屋城が取り壊しを免れたのは、何も城郭が立派だったからという理由だけではない。
尾張徳川家という立場上、将軍家にたて付くのは難しい中、中立を表明してくれただけでも有難かったという
討幕軍の感謝の意も多分に含まれてる。