かつては、「首都建設法」(昭和25年法律第219号)という法律が、東京都を機能上の首都と解していたが、同法は1956年に廃止されてしまっていて、現行の法令で「首都」について直接的な表現を用いて定めるものはない。
ちなみに遷都を行う際には、そのときの天皇が宣言している。
いわゆる『遷都の詔勅』と呼ばれるもので、和銅3年(710年)の平城京遷都、延暦13年(794年)の平安京遷都の折にも、発せられている。
もちろん、『東京奠都』に際しても、慶応4年(1868年) 7月17日に、明治天皇が『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』を発している。
この詔では東京に都を遷すと宣言したことにはなっていない。
また、この『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』が出された翌月の8月27日に明治天皇は京都で即位され、即位の宣命には「掛けまくも畏かしこき平安京に」と書かれており、京都が都であることは明白である。
明治2年(1869年)3月28日、明治天皇が東京に着き、江戸城改め皇城へと入られた。
そして、明治天皇が、明治2年3月に東京に行かれたのは「行幸」であって、「行幸」とは天皇が一時的にご旅行されることである。
明治天皇は京都に正式に還幸されないまま崩御されたという事になる。
また、依然として京都御所の紫宸殿ししんでんに高御座たかみくらが残されていることは、未だに「東京が一時的な代理的首都」であることを意味している。