新大阪ーついに目覚める日本のハブー Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
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また、24年度までに300億円を投じて、御堂筋線と中央線の主要15駅を改装する。新大阪駅は「近未来の大阪」、大阪港駅は「空中に浮いた旅する船」といったように駅ごとのコンセプトを決める。
地下空間で音楽ライブやゲーム対戦競技「eスポーツ」などを楽しめるようにするほか、簡単な仕事ができるスペースを整備する。先端技術を活用し、乗客の購買・移動データの分析やゲートのない改札口の導入なども検討する。 http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/voice9810.html
もちろん、資本主義社会において、このような計画はむしろ例外と言ってよい。世界のいたるところで見られたのは、無計画な都市化の進展であり、さらに、産業社会から消費社会への移行とともに、
機能に特化しようとするモダニズムに代わって、記号としての多様性を競い合うポストモダニズムが、
都市の表層を埋め尽くすようになった。その全過程を一挙に体験したのが一部の発展途上国であり、そこでは、経済成長やバブルとともに、巨大なビルが野放図に立ち並び、土着の集落と混在して、アナーキーとしか言いようのない
景観をつくりだすことになったのである。実のところ、このようなアナーキーを面白がるというのが、近年の建築界の最新流行だった。たとえば『錯乱のニューヨーク』で知られるコールハースは、いっそうの錯乱の東京、さらにいっそうの錯乱の深センに、
もっとも過激な都市のモデルを見出している。しかし、そうやってヨーロッパからアジアの混沌を面白がるというのは、(ポスト)コロニアリズムの一形態にほかならない。そもそも、今になって振り返ってみれば、
そこで称揚されていたアナーキーがアジア経済のバブルの産物に過ぎなかったことは明らかだ。そして、バブルが崩壊してしまった今こそ、もういちど原点に戻って建築と都市の問題を考え直すべき時なのではなかったか。この展覧会はその恰好の機会と言えるだろう。
そう言えば、この展覧会の会場になった東京都現代美術館の巨大にして醜悪な建物自体、バブルの夢の廃墟とも言うべきものだ。それを、東京都庁、東京フォーラム、新国立劇場、江戸東京博物館とともに、バブルの生んだ五大粗大ゴミと呼んだのは、磯崎新だった このスレッドは1000を超えました。
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