大坂府で落ちこぼれた人間が結構多かったが、近畿同士でありながらも和歌山への不平不満は尋常ではなかった。

外部からの参加もあったのか、あるいは学生で手続きをした者がいるのか、文化祭で「シュープリーム・トゥルース」という組織が出し物をやっていた。
オウムであった。
その頃本屋ではラジニーシ教団とオウムの本は山積みになっていて、幸福の科学よりよっぽど目立っていた。

下宿によく来たのは当初「ニューライフ・アカデミー」、その後「ナウシカの会」、さらに「剣」と色々と名前を変えるサークルだったが、
あれは統一教会だなあ。知人の地元の女子学生が入信してして連絡がつかなくなってしまった。

新聞配達の女子学生メッタ刺し殺人、長期監禁、カレー事件などはごく限られた範囲で起こっている。

当時、人口当たりの殺人発生率が全国一位だったと訊いた。

交通量が多いながら車がすれ違うだけの幅がない道路があり、双方向きの車が約10ずつ連なり、毎日893風の言い争いが行われ、
折れた方が全体でバックするが非常に非合理的であった。
なにより、何ら対策が打たれていなかったことに驚いた。
今は知らんけど、紀ノ川の北側の道路は、直線に伸び直角に曲がるという普通の状態になっていないところが多々あった。