博多の豪商神屋宗湛の『宗湛日記』によれば、文禄4年10月29日(グレゴリオ暦1595年11月30日)に筑前領主小早川秀秋の居
城であった名島城へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀の祝いを行ったと記されているのが最古の記録である。これによれば古くは
正月でなく10月の行事だったことになる[1]。この博多松囃子は、貝原益軒の『筑前国続風土記』に
よると、治承3年(グレゴリオ暦1179年)に病没した平重盛に博多の者が恩(日本で最初の人工港「袖の湊」造営な
どの)を謝すため始まったと伝えられる。