信長は尾張は百姓やウツケばかりと軽蔑していた。
信長は上洛した後、堺を開港し南蛮から鉄砲などの武器を仕入れ堺を商業港湾都市へと発展させた。
信長は大坂を手中に治めたかったが、本能寺の変や本願寺の抵抗で夢を果たせなかった。
三英傑と言われる戦国最強と言う武将達は主に畿内で活躍し歴史に名を残した。
あの木曽義仲(源義仲)ですら義経との戦いでの舞台は畿内の宇治川である。
義仲は自害したのであるが彼の菩提寺は大津の義仲寺にある。
そして来年の大河ドラマは「真田幸村」を描くのであるが、
幸村の生い立ちと最期まで大坂を守ろうとした名高き武将の波乱の人生を扱う。
今でも歴史ファンには幸村の人気は高く、
戦国武将の中では恐らく最も勇敢で勇猛であると高く評価されている。
尾張を舞台にした史実などつまらぬものばかりである。