「三河は昔っから僻地である」
家康誕生時も、貧しい僻地だったが、
家康が将軍について江戸幕府が終わるまでの、期間も、
たった一度も大大名が城主に来なかった様な、「見捨てられていた僻地の三河」であったのが事実!
だから当時から今でも、浜松や尾張とは格が全く違い、小さな藩でしか統治されたことがない、「見捨てられた僻地が三河」であって、
今でも僻地であることに変わりはない、民度も同然低いままの土民三河。
愛知県や尾張民からも、二の次に行政が回される僻地の三河、
愛知県の、「大尾張構想」からも外されのけ者にされる様な、腐った地域の三河地区。