【愛媛、女子大生誤認逮捕】 検察官や裁判官も問題
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証拠もなしに、逮捕令状を請求したり、発行すること自体を問題にしないとこういう事件はなくならない。 そういった「表の情報」以外のものに目を向ける人は、たしかに増えているんじゃないかと思います。
あと、単純にオカルトや心霊系のイベントも増えていますしね。まず世間にお願いしたいのが、
「陰謀論者」というレッテル貼りをやめてほしいなと。陰謀論にもグラデーションがあって、
まったく荒唐無稽なものもあれば、すごく真実に近くてあと数年で明らかになるかもしれないものもある。
それらをひとまとめにして「陰謀論者の話は聞く価値がない」
とされている今の風潮には、少し違和感を感じています。それに、世間が言う
「陰謀論者」って相当偏っていますよね。過激な思想を持つ陰謀論者を否定しながら、
そういった裏の情報を真剣に世に伝えようとしているジャーナリストにも同じレッテルを貼って、
あたかも「頭のおかしい人」と否定している。その流れには、異議を唱えたいです。よく“覆面座談会”
的なことをしていたんですが、要するに顔を隠さなければ話せない情報というのはかなり多いんですよ。
今は署名記事でないと信頼性が低く、SEO対策としても記事の作成元を明記するのが一般的ですが、
そうすると、裏の情報というのは表に出てきにくくなってしまいます。
その結果「大手のメディアが認めた情報でない=嘘」という固定概念がついてしまった。
何が真実で何が嘘なのか、より見えづらくなっているのかなと思います。
今は陰謀論と関わってしまう側面があるから、「リアルか、フェイクか」
という点に世間がすごくシビアになっていますよね。でも、そもそも世の中って結構デタラメだと思いますし、
「人の数だけ世界がある」という思想もあるので、そんなに真実に固執しなくてもいいのではと思っています。
それがわかっていれば、リアルでもフェイクでも、何でも楽しめるのではないでしょうか。
それに現代は「デジタル中世」だと言われていて、AI(人工知能)を活用してアバターに発言させたり、
写真を現実とは異なるように加工したりと、無意識に魔術師のようなことをやっているんですよ。
それなのにオカルトやフェイクを否定するのは、すごく矛盾した態度だと思います。
幽霊が視えるタイプの人間ではないので、たまにそういった体験に遭遇すると、すごく嬉しいんですよ。
「こんな世界があったんだ!」みたいな(笑)。それが日々のモチベーションに 両親の虐待から逃れ、安息の地を手に入れた。望まぬ手に体を弄られることも、
気分次第で竹の定規を振り下ろされることもない。
厳しく定められた門限や入浴時間に行動を制限されることもない。そういう自由を手に入れて、
「人生はこれからはじまるんだ」と呑気に思っていた。だが、それは甘い幻想だった。
虐待の恐ろしさは、被害の只中にあるときだけではなく、被害後も長年続く後遺症を患う点にある。
後遺症を発症するタイミングは、虐待から解放された直後が多いと聞く。その時は、ふいに訪れた。
異変を感じたのは、仕事をはじめて数ヵ月が経過した頃だった。朝、起きるのが辛い。何もしたくない。
その感覚は日増しに強まり、次第に食事や入浴は疎か、排泄さえも億劫に感じるようになっていった。
何かがおかしい。そう思いながらも、怠さに押し潰されそうな体を引きずって仕事場へと向かった。
違和感を無視する癖が、骨の髄まで染み込んでいる。違和感を直視していたら、
あの家では生きられなかった。だからいつも、取り返しがつかないところまで追い詰められた挙げ句、
気が付けば電池残量がゼロになっている。身に起きていた異変は、これだけにとどまらなかった。
実家を離れ、両親の元を離れ、彼らの手が届かないところまで逃げおおせたというのに、
“記憶”がいつまでもしつこく追い回した。夜、誰かの手が伸びてきて首を絞められる感覚に襲われる。
ワンルームの部屋の玄関が、ふいに開くような気がする。父が私の真上で上下に動く映像が、
目の前に浮かぶ。それはさながら、脳内で上映される映画のようなものだった。映画と違う点は、
臭いや感触までもがハッキリと再現されることだ。いないはずの人間が、目の前に迫ってくる。
逃げ出したはずの過去が、ぬるりとした手で足首を掴む。そのたび、文字通り発狂した。「フラッシュバック」
という言葉を、知識としては知っていた。だが、自分の身に起きている現象がそれだと思い至ることはなく、
ずっと“これはなんなのだろう”と訝しんでいた。フラッシュバックの最中は、恐怖と戦慄しか感じない。
だが、その嵐が過ぎ去ると、いつも茫然自失の状態でひたすら同じことを思っていた。
これは一体、なんなのだろう。ある日、叫び声を不審に思った同じアパートの住人が警察を呼んだ。 自分の身に起きていることを上手く説明できなかった、「なんでもないんです」と「すみません」
をひたすらに繰り返した。そんな私に警察官はあからさまに嘆息し、「集合住宅なんだから、
周りに迷惑をかけないように」と注意して帰っていった。警察を呼んだ人も、警察官の言い分も、
何も間違っていない。だが、途方に暮れた。どうすれば“迷惑をかけずに済む”のか、誰か教えてほしい。
そう思ったけれど、そもそも誰に頼ればいいのかもわからなかった。それ以降、布団の中で枕を噛み、
声を殺すやり方に戻した。それは、実家にいた頃と同じ声の殺し方だった。声を殺すことは、
自分を殺すことだ。でも、ほかの方法を知らなかった。「人に迷惑をかけないため」には、
「自分が黙っている」しかない。不快な感情を表に出してはならない。
両親から受けた被害を誰にも知られてはいけない。それらをすべて「なかったこと」にしなければ、
罰せられる。「お前が悪いんだ」「お前がこうさせたんだ」何度も蘇る父の言葉が、皮膚の内部を動き回る。
取り出したいのに取り出せない虫が、体中を這い回る。その感覚は夢にまで侵食し、
悪夢を見ては飛び起きる日々を繰り返した末、眠ることそのものに恐怖を覚えるようになった。
睡眠も食事も満足にとれないまま仕事に行き、通常では考えられないミスを連発し、
とうとう職場にも行けなくなった。狭いワンルームで、排泄のためにトイレまでの道のりを這う。
そんな自分の姿を憐れむ余裕さえなかった。ただ息をしているだけ。そんな状態のまま、
何日も独りで天井のシミを見ていた。悪夢に耐えかねて訪れた病院で処方された睡眠薬を傍らに置き、
それを衝動的にラムネのように貪り、意識を飛ばして苦痛を和らげる。飲み込む薬の量によっては、
数日間意識が飛ぶ。意識が戻った際、布団が濡れていることもあった。それは汗ではなく、
明らかに失禁した痕跡だった。自身の体から放たれる異臭は、私に絶望と諦めをもたらした。
どこへ行こうとも、過去からは逃げられない。そう思った瞬間、全身の力が抜けた。この日、明確に
「生き延びること」を諦めた。だが、幼少期より中にいた交代人格が、意識を手放した代わり、
命をつなぐ選択をした。交代人格が救急車を呼び、閉鎖病棟に入院となった。 当時、自分が解離性同一性障害を患っていることを知らなかった。ゆえに、
自分の中にいる交代人格の存在などつゆ知らず、自分自身が救急車を呼んだものと思い込んでいた。
だが、後年、このときを救ってくれたのは交代人格のひとりだったことを知った。
栄養不足や睡眠不足も相まって、入院初期の記憶は曖昧で断片的だ。
点滴の内容物が薄いピンク色だったこと、ガサガサで肌当たりが悪い紙オムツを身に着けていたこと、
「トイレに行きたい」と訴えたら、「そこでそのまましちゃって」と面倒くさそうに言われたこと。
かろうじて覚えている記憶の断片は、今でもバラバラのままだ。欠けたパズルのピースを、
今さら取り戻したいとも思わない。意識がはっきりしてきたのは、おそらく入院して2週間が過ぎた頃だった。
入院時の私の体重は、通常より15キロ以上落ちていた。カサカサに乾いた皮膚は粉を吹き、
唇はひび割れ、尿でただれた臀部は耐えがたい痒みと痛みを伴った。
ピンク色の点滴には強い抗うつ剤が入っており、錠剤を服用するよりも劇的に効くのだと看護師が言った。
たしかに、死んだように眠り続けて目覚めたとき、脳内は思考の渦であふれていた。
ただ息をしていただけが、もうこのまま死ぬんだろうと諦めていたが、
「さて、これからどうしよう」と未来を憂いていた。だが同時に、強い副作用にも襲われた。
誰しも同じ副作用が出るとは限らないが、手足の震えが顕著だった。その度合は、
指先の感覚が狂い、ノートに文字を書くことさえままならないほど酷いものだった。点滴治療が終わり、
投薬治療に切り替わったあとも手の震えは続いた。その苦痛に耐えられず、途中から服薬をやめた。
閉鎖病棟では、毎回服薬後に看護師の前に患者が列を作る。口を大きく開き、
確実に薬を飲み込んだことをチェックするためだ。飲んだフリをして薬を溜め込み、
自殺やOD(薬の過剰摂取)を図る人が出ないように行われる日々のルーティン。
患者の安全を守るために必要な医療行為だと、もちろん理解している。だが、その光景は“見慣れない”
ものだった。口の中にあるものを飲み込むかどうか、本人に決める権利はない。
そのことに、強い違和感を覚えた。飲みたくない。幼い反発心と副作用への苛立ちが重なった、
舌の裏の奥に錠剤を押し込むようになった。 服薬チェックが終わると同時にトイレに駆け込み、錠剤を下水に流す。舌の裏に残る苦味は、
罪悪感の味がした。この方法は、看護師にバレなかった。そのことが、私にとって“いいこと”
だったのかどうか、今でもわからない。そうまでして指の震えを止めたかった理由がある。
書きたかったのだ。この時の感情を、自分の身に起きている出来事を、誰にも言えない過去を、
私は書きたかった。誰に見せるでもなく、自分のためだけに、自分を慰めるためだけに、
ペンを持って文章を書く時間が私には必要だった。薬を正しく服用することよりも、休息を取ることよりも、
「書くこと」を何よりも欲していた。そして、それはこの瞬間でなければならなかった。「後で」は書けない。
今でなければ書けない。そういう類の焦燥は、言葉で説明しても理解してもらえることは少ない。
当然ながら、この方法が「治療」の観点からみて正しくないことは言うまでもない。
患者の自己判断による断薬は、離脱症状による苦しみや病状悪化を招く。私も多分に漏れず、
そのルートを通った。それでも、今あの当時に戻ったとしても、私はきっと同じ選択をするだろう。
閉鎖病棟の窓は、数センチしか開かない。むろん、飛び降りを防ぐためだ。病棟内に持ち込む物にも、
大幅な制限が課せられる。突き刺しによる自傷や他害の可能性があるため、
ペン1本さえ居室に持ち込むことは許されなかった。
よって、使いたい時にナースステーションから受けとり、
オープンスペースで使用したのち返却するシステムであった。制約が多く、
常に監視されているような威圧感に気圧される日々。そんな病棟内において唯一の救いだったのは、
図書スペースがあったことだ。漫画や小説、雑誌に至るまで、
焦げ茶色の大きな本棚に多数の書物が並んでいた。入院当初は文章の読み書きどころか、
排泄さえ自力で行うことができなかった。しかし、意識が覚醒してくるにつれ、耐えがたい渇きに襲われた。
「読みたい」衝動は、私の「死にたい」願望を凌駕した。書く時間以外の大半を、私は「読むこと」
に費やした。昼間のオープンスペースは、静寂とは程遠い。集中して書ける時間帯は限られている。
しかし、ペンとは違い、本は自室への持ち込みを許されていた。ベッドに横たわり、物語を手当たり次第に読みふける。 政府の諮問機関である「教育未来創造会議」が設定した「2033年までに
(日本から海外への)留学生を50万人にする目標の実現に向け、文部科学省が2024年度、
給付型奨学金の対象者を現在の7割増にあたる3万人に増やす方針を固めた」との報道がありました。
新型コロナウイルス感染症の蔓延以前、日本から海外への留学生は1年あたり22.2万人であったのを、
2倍以上の50万人を「海外に送り出す」という。また逆に、海外から日本への外国人留学生は、
31.8万人を年40万人に増やすという。このアウトラインをもとに、日本の高等学術・
人材育成政策の現状と問題点、もっとはっきり記すなら業病というべき体質を検討してみましょう。
まず頭数から考えてみます。「日本人対象の留学生支援」が50万人、
これに対して外国人留学生支援が40万人。頭数だけ比較すれば
「日本人向けのサポートの方が10万人多いのです!」という、
まことに国民納税者向けに説明がつきやすそうに見える数字です。
でもここで、ちょっと立ち止まって考えてみてください。日本人が海外に留学するために拠出するお金、
原資はまちがいなく日本国民が収める税です。その方が多いというのはどういうことか。
海外から迎える外国人留学生向けのサポートはお金が国内で循環します。
一方で、海外に出て行く留学生は、要するに海外で日本の国富を消費するわけです。
つまり、お金のプラスマイナスを考えれば、日本国内から出て行く額がたくさんあることになる。
さらに、日本国内から外に出る人の方が多く、外から入って来る人材のほうが少ないというのは、
人数の「収支」で考えても「輸出超過」になっている可能性がある。行政サイドの言い分としては
「海外で進んだ学術を身に着け、国際的に競争力の高いグローバル人材を急ぎ育成」と、
聞こえの良い部分最適な説明がつけられています。これはつまり、
日本国内での人材育成だけでは、もはやグローバルに競争力ある若者は育たない「教育後進国」と、
自己申告の白旗を上げているようなもので、かなり情けない「輸出超過」になっている可能性もある。
もっと言えば、そうやって海外で学んだ人材を日本という社会は国内に迎え入れ、暖かく処遇し、
国内生え抜きと同様に人事にも配慮がある実情になっているか。 「先生のおっしゃることも、OBの方々のおっしゃることもわかるので、やり切れない思いです」
辞退者の女性は、そう語る。辞退とは、学校への配属を辞退して民間人にもどることを意味し、
批判的な人々の間では、「拒否」とも呼ばれる。これまでに登場した退校者たちとは異なり、
辞退者は学校を正式に卒業している。その彼女は、退校者たちの証言について「五分五分です」と評した。
「特定の学生を“ガイジ”呼ばわりしたり、吐くまで食べさせるようなおこないは、言語道断です。
厳しく処分するべきだと思いますが、入室要領や清掃に関する学生間指導などを、単純に『嫌がらせ』
と断じてしまうことには違和感も覚えました」ネット上には擁護する声と非難する声があふれた。中でも、
(自称も含む)退校者やOBたちによる「学生間指導の闇」についての書き込みはとどまるところを知らない。
「退校者が書いているであろうサイトや書き込みを読みましたが、彼らの半分近くは、
入学当初から幹部を目指すには適性を欠いていた方々なのではないか。そんな思いもあります」
近年はミリタリー系のアニメやドラマ、スパイものの漫画、ライトノベル小説などにハマって、
まるでコスプレでもするような気分で入学してくる者や、被災地支援の側面にのみ注目して、
立場に思いが至らないまま憧れだけを募らせた学生も少なくないという。「先生が告発するずっと前から、
学生舎の暮らしがどんなものかは散々ネット上で書かれています。それなのに、どうして(新入生たちは)
わからないのか。私には、むしろそれがわかりません。『場の理不尽さに耐えるための、日常の理不尽だ』
なんて言い方は非常識だし、おかしいと思いますが、それでも、私たちはただの学生じゃないんです。
特別職の公務員として学費を免除していただき、手当ももらい、実質的には人を目指している。
学園ドラマの遊びじゃないってことぐらいは覚悟して入ってきてほしい」「信じられないかもしれませんが」
と前置きし、言う。「私が籍を置いていた、つい最近までの退校者のうち半数程度は、
本当に単純な問題として、朝起きられない、夜眠れない、すぐ泣く。ミスを指摘されると、
パニック発作を起こす。何度やり直させても、必要な物品を揃えられない。 リストを作らせてチェックさせると、そのリスト自体に抜けがあるなど、
そもそも閉鎖的な空間での共同生活に適性のない人たちなのではないでしょうか」
その上で、「本館」(執行部)や指導官たちが「適性のない学生の存在を把握していながら、
退校させないこと」こそが、最大の問題だと指摘した。
「私が勝手に決めつけているのではありません。実際、医官が適応障害の診断を下した学生だったり、
手首を切ったり、痙攣を起こしたりする学生たちは一定数います。
もちろん、本館や指導官が問題を抱えた学生のケアをして、立ち直るための手助けをするのであれば、
ぜひそうしていただきたいですが、現実は違います。学校は手をこまねいたまま上級生に丸投げし、
すべての問題を学生間指導で解決するよう強いてくるのです」
たとえば、2年生のとき、同室になった1年生のひとりは、本来同級生であるはずの女性だったという。
「彼女は『適応障害』と診断されて留年し、2度目の1学年でした。“上”が『復学プログラム』
を準備したということだったのですが、私たち2学年はともかく、4学年の部屋長たちさえ、
直前まで事情を知らされていませんでした」そして始まった同じ居室での集団生活は、
文字通りの「地獄」だったという。「彼女は朝起きられないので、当然、清掃はできません。
清掃だけじゃなくて、ほとんどの服務ができないので、他の1学年や私たちがやるしかない。
座っているだけで済む授業は受けられますが、すぐに疲れてしまうので
(1学年が全員参加することになっている)遠泳訓練にも参加せず。
『とにかく、なにがあっても彼女を叱るな』と指導官から厳命された部屋長は、対応に苦慮していました。
ほとんど何もできていないので、この1年が過ぎても彼女は2学年には上がれません。
そんなこと、みんなわかっているのに、指導官も当局も何もせず、
私たち(居室の)学生にすべての負担を押しつけるだけでした。本当にその子のことを思い、
その子を復学させたいなら、少なくとも同室になる最上級生たちには事前に説明の機会を設けて、
復学プログラムと連動した居室におけるケアの計画を立てるとか、
服務を満足におこなえないメンバーを抱えるという、その居室の負担への配慮があってもいいと思うのです」 たまりかねた上級生たちが、指導官に抗議したこともあったそうだ。「指導官から
『我々だって苦労しているんだ』などと他人事のように言われ、部屋長は呆れていました。
その指導官によれば、本館や指導官に対して『うちの娘をなんだと思っているんだ。
適応障害に追い込んだ犯人を探し出せ』などとクレームの電話が何回もかかってきている、と。
そういう状況なので、本人が『やめる』と口にするまで、学校側から『別の人生がある』とは言えないと。
それじゃあ、監督責任を放棄しているとしか思えません」現役生からも、辞退者と似通った証言が出た。
「心臓が弱いとのことで、しばしば全身痙攣を起こす学生がいました。突然倒れて、
医務室に担ぎ込まれたりするのに、指導官は『仲間なんだから、十分注意して目を離すな』と言うばかり。
もしも居室で命を落とすような事態になったら、学校はいったいどう責任をとるつもりだったのでしょうか。
心配だったので、夜間は交代でずっとその学生を見守っていました。
そのせいで3か月以上、居室の全員が寝不足です。しばらくして、その学生は退校しましたが、
どうしてもっと早く手を打ってくれなかったのか。結局、その子の両親のクレームが怖くて、
私たちに押しつけようとしたんじゃないですか」さらに深刻な問題があると、証言した。
入学希望者の減少に苦しむが「見かけの退校者数を抑える」ために、不適格な学生への処罰を控え、
放置しているというのだ。「皆さんが思っている以上に、学生舎では窃盗が頻発しています。
盗まれるのは現金やスマートフォンが多いですが、まず指導官に言われるのは
『証拠がないんだから、仲間を泥棒扱いするな。警務隊を呼ぶ前に、居室の全員でよく話し合え』です。
けれど、窃盗は手癖なので、話し合ったってなくなりません。さっさと警務隊を呼んで、
持ち物を検査すれば、たいてい一発で(犯人が)わかります。前の居室でも、
その前の居室でも、だいたい特定の学生がいる部屋で窃盗が起きていますから。
それで最終的に警務隊を呼んで犯人がわかっても、大した処罰を受けないんです」
そう言って、現在進行形のトラブルを列挙した。「6月に路上でおこなわれたバーベキューで、
酔った男子学生が衆人環視のなかで、嫌がる女子学生の身体を無理やり触り続けるという事件がありました。 最終的には、周囲の学生らに制止されましたが、指導官は警務隊に報告せず、
学生の風紀委員が点呼の際に口頭注意したのみです。
また、4月に4大隊で起きた3階シャワー室の盗撮事件。
これは警務隊が扱いましたが、隠しカメラを設置して女子学生の裸を撮影して、
盗撮したデータを他の学生たちと回覧した主犯の学生ふたりは、学生長と副学生長でした。
それなのに、彼らは反省部屋(服務室)に入れられただけで、いまだに在学しています。
本来は、退学相当じゃないですか。もっと酷いものでは、67期(今春卒業した期)
の女子学生に対する性的暴行事件もありました」この証言を受けて、事実確認をおこなった。まず、
路上でおこなわれたバーベキューにおける「性的暴行」について、こう回答した。〈現在、
細部の調査を慎重に進めているところであり、判明した事実関係に基づき、厳正に対処致します〉
そして〈学生から報告を受けた指導官は、なぜ自ら対応するのではなく、
加害行為の処理を学生に委任したのでしょうか〉との問いかけに対しては、
〈被害学生が警務隊に対する被害届の提出を希望しなかったことから警務隊には通報していません〉
と回答した。だが、「被害者が希望しなかったから、指導官は通報しなかった」という釈明は、
まさに〈細部〉のごまかしそのものであると、怒りを露わにした。「時系列がまったく違います。
まず指導官は、彼女(被害学生)の話をまともに聞こうともせず、学生に任せました。これが発端です。
その一方的なやり方にショックを受けた被害学生と、怒った4学年の部屋長たちはその後、
自分たちで警務隊に通報しようとしたんです。ところが、
通報の直前になって被害学生のフラッシュバックがさらに悪化しました。
彼女は心配してくれた部屋長たちを巻き込みたくなくて、警務隊への通報を諦めたのです」
女子学生専用のシャワー室での盗撮事件について、主犯とされる学生長および副学生長に対して
〈現在までにどのような処分がなされたのか〉という質問に対して、次のように回答した。
〈現在、細部の調査を慎重に進めているところであり、判明した事実関係に基づき、厳正に対処致します〉 67期の女子学生に対する性的暴行事件については〈調査の結果、判明した事実関係に基づき、
厳正に対処しました〉とのことだが、具体的にどう〈対処〉したのかは開示されなかった。
任官辞退者、現役学生が口にしたのはガバナンスが「法治」ではなく「人治」に傾斜しているという
教授の告発に通ずる指摘である。教授は学生間指導を「悪しきリーダーシップ」の産物と見ていたが、
問題はさらに根深い。ふたりの証言からは、悪しきリーダーシップというより、執行部や事務官、
指導官たちの無責任な人治のツケが、学生たち(学生間指導)に回されている実態がうかがえる。
苦労の絶えない学生舎生活をやり抜いた同期たちが、揃って幹部候補生学校に進むことを
“辞退”した理由は、決して“隊”が怖くなったからでも、学費の免除が目的だったからでもない。
「人治」に翻弄され、疲れ果ててしまったからなのではないか。「多くの指導官は、
自分の任期交代まで平穏に過ごせればそれでいい、と考えているのでしょう。
自分の監督不行届きということにされたくないために、学生をなだめ、
次年度の中隊替え、卒業を待つ。それも仕方のないことだと思います。ひとりで対抗するには、
あまりにも惰性と同調圧力に満ちた場所です。4年間あの場所にいて思ったのは『はたして、
ここは何を育てたいのだろうか』ということでした。学業時間の確保とか一斉喫食や清掃が辛いといった、
そういったことも問題なのかもしれませんが、『どのような学生』を育て、『どのような能力』
を身につけさせたいのかの方針を明確にしないまま『学生間指導』などというものを要求するから、
指導官も上級生も困惑するのだと思います。今のカリキュラムのままでは、幹部候補生学校に進んだとき、
知性や教養では一般大学からの入校者に劣り、技では部隊の曹の皆さんに劣る、という、
いかにも中途半端な卒業者が量産されるだけになってしまうのではないでしょうか」それでも、
最後に言った。「世間、国民の皆さんには、置かれた状況だけをみて、省・隊を役立たずの組織、
酷い組織だと即断していただきたくはありません。先生の告発も、その後の専門家の論説や記事も、
省・隊の重要性を『ゆるぎない前提』として『改善するため』になされている議論でしょうから。 『改善』を目指すため、主として『問題』についてお話ししましたが、
指導官として補職されてこられた方々には、毅然と、
そしてフェアに学生を監督する素晴らしい幹部自衛官の方々も、たくさんおられました。
4年間を全うすることができたのは、毎年の訓練でお目にかかった部隊の皆さん、
とくに人柄や態度、実践に感銘を受けたからです。尊敬すべき皆さんの前に、
堂々と立てるほどの研鑽を積めなかった恥じる気持ちもあります。
このような状況下にあっても真面目に頑張ってくれている方々や、お世話になった方々のためにも、
さまざまな現状から目を背けず、本館の方々に一考していただくことを祈ります」
衷心より発せられた彼女の言葉は、はたして「本館」に届くだろうか。教授による論考
『危機に瀕する学校の教育』において指摘された「法治よりも人治」の歪みは、
「五分五分」の退校者のうち、適格者(であったであろう者)たちまでを今も苦しめている。
「見かけのシステムとしては存在していても、実質的に機能していないのなら、
その仕組みは存在しないも同然です。だから、学生舎のパワハラを根絶できないのでしょう」
そう語るのは、娘が退校した男性だ。「一番大変だといわれる1学年を乗り切り、
2学年としてカッター競技会も無事に終えたので、夏休みに顔を見るのを楽しみにしていました」
ところが娘は、夏季休暇の前に実家に戻ってきた。全身に蕁麻疹を発症し、
過呼吸で倒れるなどしたためだ。「娘とのLINEのやりとりで、
居室の上級生から受けるパワハラに悩んでいることは知っていましたが、
こんなにボロボロになっているとは思いもしませんでした」〈敬礼汚ねえよ訓練必携のこの文章読め
もっとハキハキ読め詰まるな最初から読み直せ五指を揃えるって書いてんだろ
五指を揃えるって叫びながら10回敬礼しろ何もできないくせに上級生ぶるなはい、
帰って下さいって言われて部屋から出された〉驚いたが、娘に進学を勧めた友人(幹部)に相談すると、
友人も仰天していたという。「LINEを見せたら『こんなの、部隊でやったら即懲戒だ』と激怒して、
自分の部隊の法務官に話を聞いてくれました。数日後、彼から電話があり『法務官も、
パワハラの可能性が極めて高いと言っている。調査を求めるべきだ』と助言されました」 娘の指導官に電話をかけて「娘が居室でパワハラ被害を受けた可能性があるので調査を求めたい。
通報窓口はどこか」と尋ねた。すると指導官は、通報窓口として社会連携推進室を挙げたという。
だが、社会連携推進室とは単なる広報部門である。「社会連携推進室に連絡して尋ねると、
『ここでできるのは、服務部署にメールを転送することだけです』と。
それなら服務部署に直接連絡したいと言っても、『できない』の一点張りだったので、
詳細を記したメールを送りました」その後、社会連携推進室の事務職員から「服務部署に取り次いだ」
という連絡があっただけで、当該の部署からはいっさい連絡ないまま、1か月が過ぎた。
事態が変わらないことを悟った娘は、その間に退校を決めたという。さらに1か月が過ぎた。
業を煮やし、省のパワハラホットラインに連絡し、ことの次第を訴えた。
すると驚くべきことに、省のパワハラホットラインに連絡した2日後には、総務課・
人事第2係の名で「ハラスメント相談調査を開始する」旨のメールが届いたのである。「じゃあ、
いったいあの2か月は何だったのか。あのまま連絡していたら、事態はいっさい動かなかったでしょう。
調べる気なんかなかったに違いありません。それが、本省の窓口に相談したら、たった2日で『やります』
なんて、ふざけるのもいい加減にしろと言いたい。学生が退校した原因をきちんと調べないから、
学生舎の状況が改善されない。だから、退校者も減らないんです」人治の歪みと、
ガバナンスの不在をこれほど強烈に示す一例はあるまい。改めて断るまでもなく、
すべての退校者が「パワハラによって失われた適格者」であるとは考えていない。当然ながら、
みずからの言動に問題を抱えていた者もいるだろう。しかし、それらを見分けて適格者を守り、
不適格者に改善のチャンスを与える。それでもなお基準に届かない場合にスクリーニングするのは
学生同士でやらせるなど論外だろう当局が担うべき責任ではなかろうか。
藁人形や髪の長い日本人形など不気味なコレクションが所狭しと置かれた4畳ほどの空間。幾体もの
呪物≠ノ囲まれ、佇んでいる男。21年の「怪談最恐戦」で最恐位となるなど、今、最も注目を集める怪談・呪物蒐集家だ。 そんないわくつきの呪物に取り憑かれた男の部屋に、取材班も恐る恐るお邪魔し、
これまで体験した怪奇現象について聞いた。呪物だらけの部屋は異様な空気ですね。
何体くらいあるのですか15体ほどイベント会場に出張中ですが、全部で150体以上あります。
僕は災いを招く呪物をメインで集めていて、それが全体の3分の2ほど、残りが幸福をもたらす呪物です。
日本でもまだ民間信仰が残る場所で現地に住む人に頼み込んで譲り受けたり、
骨董店や呪術師から購入したり、呪物を手放したい方から無償でいただくこともあります。
いつからオカルトや心霊に興味がオカルト好きな母親の影響が大きい。
小学校にあがる前までは、母に連れられて地元の霊媒師に祈祷してもらったり、
寝る前の読み聞かせが女性週刊誌の心霊特集だったり
物心がつくころには稲川淳二の大ファンになっていました。
怪談話を貪るように読み漁り、怖い話を集めるようになったのも自然なことでした。
呪物を集めるようになったのもオカルト趣味の延長だったんですか
最初から呪物を集めていたわけではないのですが、
高校卒業後にDTPデザインのデザイナーのアシスタントをしながら、
細々と怪談ライブなんかをやっていました。その流れで、13年に素人でも参加できるTV番組
『稲川淳二の怪談グランプリ』に出場したら、王者になれまして。イベントの参加者から
「縁起が悪いから手放したい」と呪物を手渡されるようになったんです。
当時は断るのが苦手で引き取っていただけで、チャーミー
と出合うまで呪物に興味はありませんでしたね。チャーミー外国人いえ、
7年ほど前に滋賀県にある介護施設の関係者から譲り受けた、小さい女の子の洋人形です。
彼女が僕の部屋に住み始めたころに、部屋の電気が点滅を繰り返したり、
パソコンが立ち上がらなくなったりと怪奇現象が起きました。それで、
見えない力が働くモノに魅力を感じて、本格的に呪物の蒐集を始めました。怪奇現象だけでなく、
実際に呪いで不幸になったことはありますか橙色の着物を着た木目込み人形にはやられましたね。
150年以上続く一族の蔵に眠っていた呪物で、家の長男曰く
「蔵の中央の梁に吊るされていた竹籠を開けたら、
人毛でぐるぐる巻きにされた木目込み人形が入っていた」と。この人形が送られてきたのが21年の夏。 当時、全国のイベントに連れていきましたが、先々のホテルで毎夜夢に出てくるんですよ。
よく連れて歩けましたね。その夢とは真夜中に山の麓から山頂を見上げていると、体は動いていないのに、
カメラのズームのように山奥に入り込む映像が目に映るんです。かなり奥まで行くと真っ赤な鳥居があって、
そこには僕のほうを向いて立つ木目込み人形が。さらに彼女の鼻に触れるくらい近づくと、
鬼のような形相で僕を睨んでいて、「うわああっ」って悲鳴を上げながら目覚めるんです。
で、5日目に僕は呼吸困難になって倒れて救急搬送され、命も危なかったみたいで。
入院中も同じ夢が続くので、怖くなって人形を入れたロッカーを開けたら、首がパクッと傾いてました。
ちょっと、もうお腹いっぱいです(笑)。ほかに、お気に入りの呪物は「藁人形」はザ・
呪物って感じで好きですね。京都の古道具店で箱の護符を取って封印を解いたんですが、
長い年月封印されて邪悪な念が箱内に充満していたのか、店主の両の鼻の穴から血が噴き出しました。
ほかにも、首と内臓だけ飛び出して家畜を襲う女吸血鬼「ピー・ガスー」や、
アフリカのセヌフォ族のシャーマンのみが見ることを許される「オラクル」、ある資産家が祀っていたとされる
「ぬえの子どもの手」なんかもお気に入りです。いわくつきのモノばかりですね。
こっちまで呪われないか不安です。あっ、でもタイの代表的呪物「クマントーン」
は日本の座敷童に近い存在ですよ。目がバキバキに決まっている「メー・ナーク」という呪物は、
恋愛成就で有名です。実際、こうした呪物を集めるようになって怪談・
呪物蒐集家として知られるようになり、自著も4冊出すことができたし、
全国各地の怪談イベントにも呼ばれるようになりました。怪談コンテストの21年「怪談最恐戦」
では最恐位となり、より仕事も増えた。これも彼らがもたらしてくれた福かもしれませんね。
最近、このアパートの近くで温泉が湧いたのですが、これも私の呪物のおかげかと(笑)。ただ、
このアパートのほかの住人には、ここが呪物部屋なのは内緒。ある意味、事故物件より嫌がられるかも(笑)。
隣人にも呪物の福が行くよう祈りましょう。ただ、幸福をもたらす呪物も、
扱い方を間違えると持ち主は福をすべて奪われて最終的に不幸になるそうです。 呪物の数が1つじゃないので、奪われ方はきっとえぐいでしょうね。
そうならないよう呪物にはそれぞれにルールがあるのですが、呪文を唱える、
お菓子を供えるなど、1時間以上かけるのが今のモーニングルーティンです。
ご自身に霊感のような超自然的な力が備わることはないのですか。
呪物を集めるだけでは、力が手に入ることはありません。何人かの呪術師や霊媒師には
「呪物が宿す力を見極められるよう修行したほうがいい」と助言されました。
なんでも呪術師が一気にエネルギーを体内に注入してくれるみたいです。
修行期間も1週間くらいで終わるようなので、南米に行ってその力を得るのが今年の目標です。
運転免許の合宿より短期間ですね。とはいえ、こんな邪悪な環境なのに、
まだ無事なのも不思議です。それが呪術師が言うには、もうほぼ呪物に近い存在みたいです。
例外はありますが、呪物の力が向かうことは稀だから、彼らに囲まれても平気らしい。
自身がもう呪物。どんな呪物に分類されるのでしょう人畜無害な精霊と言われたので、
癒やし≠フパワーがあるのかな。あと、ある霊媒師に憑いている霊を見てもらったら、ほとんどの人は、
指導霊や守護霊が憑いているんですが、低級霊でした。しかも、めちゃくちゃデカい毛虫(笑)。
なんで毛虫かというと、毛虫界の風の噂で面白いと話題になったからだそう。
もうただの観客ですね。それでも毛虫が離れたらつまらなくなった証しなので、
それはそれで寂しい。毛虫に好かれるくらいの面白さは持ち続けたいですね。
家族や親しい人からの被害を子ども自身が隠そうとすることがある場合や、優しく信頼させ、
加害を継続する「性的グルーミング」による被害もあります。言葉にすることが難しい子どもは、
トラウマの反応が心身の不調や問題行動として現れることがあるといいます。主な変化は、
以下の3つです。体の変化(頻尿・夜尿、頭痛や倦怠感などの体調不良、不眠、怖い夢を見る、
睡眠時に叫び声をあ上げる、性器の痛み、食欲不振、過食など)心の変化(元気がない、無気力、
過剰に甘えようとする、集中力の欠如、情緒不安定、周りの人が信じられないなど)行動面の変化
(落ち着きがない、物を壊す、学力不振、非行、自傷行為、性的なことを避ける、性的な言動や遊びをするなど) 女性は3泊5日で、ハワイ旅行を楽しむ予定だったものの、ハワイの入国審査で問題にぶち当たった。
「一人で旅行に訪れたその女性は、入国目的を『観光です』と答えたものの、指紋、
唾液、写真を撮られたあげく、売春目的だと疑われ、結局入国できなかったそうです」
特に米国では、年々入国審査が厳しくなっている。今回のケースでいえば
「入国拒否は当然です」と語るのは、風俗業界関係者だ。「実際に、
数えきれないほどの日本人女性が米国で風俗の出稼ぎをしていますからね。数日から数カ月の間、
海外の風俗店に在籍し、あらかじめ定められた出勤日数や勤務時間をクリアすると、
お客ごとに得られる取り分とは別に、“保証”と呼ばれるまとまったお金を得られるというシステムです。
このビジネスは、現地マフィアの資金源となっています」こうした“出稼ぎ風俗”を問題視した米当局が、
厳しく取り締まるようになったのだ。「米国の中でも、ハワイは家族向けの観光地です。
これまで、若い女性が入国審査で風俗嬢だと疑われることはあまりなかったのですが、
今回拒否されたということは、ハワイにも“裏風俗”が生まれたということでしょう。
特に、民泊を利用していたり、渡航目的や入国後のスケジュールをはっきり言えない若い日本人女性は
『売春目的でしょ』と疑われるのは当たり前の状態です。入国拒否も当然ですね」
「あんな怖い思いをしたのは初めてです。もう二度と米国には行きたくありません。もっとも、
行きたくても行けませんが」と語るのは、エステティシャンだ。褐色の肌に彫りの深い美しい顔立ちは、
スペイン系フィリピン人の母と日本人の父から受け継いだものだ。
コロナ禍の影響で、これまで勤めていたエステ店が休業、やむなく風俗店で働きだした。
「ある日、風俗店を紹介してくれたスカウトから『いい稼ぎ場所があるよ』と誘われたんです。
それが、米国への出稼ぎ風俗でした」誘われた場所は、ニューヨークのすぐ隣、
東海岸に位置するニュージャジー州のアトランティックシティだったという。
アトランティックシティといえば、ラスベガスに次ぐ規模のカジノ都市だが、そこにある娼館が“職場”
になる予定だった。「とある一軒家にママがいて、ほかにも数人の日本人が働いているということでした。
料金は60分で300ドル(約4万円)程度。 チップもあるから、毎日2000ドルは稼げるという説明でした」だが、“出稼ぎ”は水際で止められてしまった。
「強制送還されてしまったんです。入国審査で私の順番になった途端に、審査ブースが閉鎖になりました。
職員にオフィスに行けと言われ、そのまま別室に連れていかれ、ほかの人たちと一緒に審査を待ちました。
職員の中には、FBIという文字が書かれたジャンパーを着ている人が数人いました。
オフィスにいたのは20人くらいで、日本人は私だけ。入国管理局の職員から、
米国に滞在する理由を何度も尋ねられ、『観光です』と言ってもまったく聞き入れてくれませんでした。
実際、到着した当日だけは本当にホテルに宿泊する予定でしたし、そのホテル名も告げました。
でも、翌日以降はどうするつもりなのかと聞かれ、友人の家に泊まると言うと、『それは嘘だ。
あなたは売春目的で米国に来た』とハッキリ言われました」何枚かの書類にサインさせられ、
そのまま国外退去を宣告され、その日に日本に向かう飛行機のチケットが取れなかったため、
留置施設に送られることになった。女性の保安職員の前で丸裸にされ、
事の重大さに初めて気がついたという。「売春は不法行為なので、もう今後は米国に行くことはできません。
米国では、すべての入国者のデータが管理されているそうですから。
米国には、トランジットでも入国できないのでつらいです」米国のみならず、“オイルマネー”
を狙って出稼ぎに行く日本人女性も多い。パパ活歴5年、今はマッチングイベントのオーガナイザーや、
交際クラブへの登録者の斡旋もしているという2022年、ドバイへの出稼ぎを紹介されたという。
「その方のお話では7日間程度、ドバイで特定の個人とお付き合いするというものでした。
現地居住の40代の日本人男性がお相手で、7日間の拘束で60万円でした。
男性の友人など複数人と“遊ぶ”と、さらにボーナスがもらえるということでした。
もちろん、旅費やホテル代金はお相手の男性負担です。条件に不満はなかったのですが、
面接場所が都内のサウジアラビア系企業のオフィス。何かあったときに、
国の力でもみ消されるのではないかと怖くなって、お断わりしました」
これまでも、世界中に国境をまたいで“出稼ぎ”する女性は多数いた。 だが、最近になって日本人女性が急増しているという。「純粋に、日本が貧しくなったということでしょう。
国内ではパパ活などの影響で、個人でおこなう売春の価格が暴落していますし、
風俗業界も客の奪い合いが激しいですからね。割のいい海外に行って稼ぐ、
という選択肢が出てくるのも当然です。さらに、日本人女性は、サービスがよく海外で歓迎されます。
そもそも先進国の中で、これほど大規模な風俗がある日本が異常だという考え方もできます」
気軽に一人旅もできないとは。「逮捕された女の一人は、日本でAV女優として活動していました。
現地メディアによると、売春の対価は極めて高額で、一回につき6000〜7000香港ドル
(約11万〜13万円)。彼女は客に26歳と名乗っていたが、実際は39歳だったそうです」
9月5日夜、香港現地警察が尖沙咀(香港南部の繁華街)で一斉摘発を実施し、
日本国籍の女4人を含む売春グループ10人が逮捕された。日本人女性の間ではいま、
「海外出稼ぎ売春」が盛んに行われており、彼女たちも売春目的で香港を訪れていたと見られる。
「出稼ぎが増えたのは、コロナ禍以降ですね。国内の風俗で稼げなくなり、こぞって海外に行くようになった。
英語のできる子が自力で現地の風俗店と交渉するケースもありますが、多くは『エージェント』
と呼ばれる斡旋業者を使います。SNSには『エージェント』を名乗るアカウントがわんさかありますよ」
出稼ぎ売春が増え始めた'20年頃は、アメリカが渡航先の主流だったという。
だが、最近は状況が変わってきている。「アメリカは去年の夏頃から取り締まりが厳しくなった。
日本人の若い女の子というだけで、空港で何時間も渡航目的をチェックされるんです。
いま人気なのはシンガポールや香港、タイといったアジア圏ですね」
シンガポールで実際に出稼ぎ売春を行っていた女性にも話を聞いた。
「エージェントが現地の高級ホテルの部屋を借りていて、そこに次々と客が来るんです。
60分のプレイ時間で客の支払いが5万円、その7割が女の子に入るというシステム。
私は2週間いて一日20万円くらい稼いでいました。日本人というだけで人気があるし、
撮影などのオプションも別料金でつければ、ものすごい額が稼げますよ」 複数の女性に性的暴行を加えたほか盗撮を行ったとして起訴されている、
県警察本部「元警部」の第2回公判が地裁で開かれ、検察官は元警部に懲役17年を求刑した。
市民の生活を守るはずの警察官が盗撮を行なっていただけでも驚くべきことだが、
あろうことか性的暴行を繰り返す“連続強姦魔”だったというのだから、
その衝撃は計り知れない。逮捕は昨年8月。当時、捜査4課の警部(46)は、
駅の上りエスカレーターで女性のスカート内にスマホを差し入れ、盗撮したとして現行犯逮捕された。
これがきっかけで、過去の性的暴行事件も明るみに出る。その後の捜査において、
現場から採取されたDNA型が一致したことなどから、未解決だった複数の性的暴行事件が判明したのだ。
初公判罪状認否で「すべて間違いありません」と、か細い声で認めた。3件の盗撮のほか、10代後半〜
20代の女性3人に性的暴行を加えたとして、強姦や強制性交等などの罪でも起訴されている。
きまって深夜に、空き巣の如く窓や玄関ドアから女性宅に侵入した。そして、
寝ていた女性にいきなり刃物を突きつけて脅し、犯行に及ぶのだった。深夜、
当時19が住む部屋に掃き出し窓から侵入。就寝中に包丁を突きつけて「顔を見たら殺すから目隠しする」。
その言葉通り、目隠しをした上で強姦した。そして、深夜には、当時22方に侵入。
「騒ぐと殺すぞ」と刃物のようなものを突きつけ、バスタオルで目隠しをして強姦。
さらに深夜、当時29方の掃き出し窓から侵入し、「包丁見えるでしょ、動かないで」
と刃物を見せて脅した上で性的暴行に及んだとされる。行為後、すぐに現場を立ち去らなかった。
その代わりに、被害者宅のシーツを洗濯したり、被害者を風呂に入れたりしていたという。
犯行に及んだのが現役の警察官だったことを考慮すれば、
“証拠隠滅”という言葉が思い浮かぶのはむしろ当然と言える。
逮捕後しばらく、DNA鑑定のための検査を拒んでいたことも頷ける話だ。
何度となく繰り返されたであろう脅し文句と手慣れた犯行、証拠を残さない狡猾な手口、
その結果、積み重なった未解決事件の数々。手を染めた性的暴行は、
起訴されている3件だけではないこともわかっている。全ての公訴事実を認めていたが、
初公判で、性的暴行の詳細については「記憶がない」と証言していた。 また、孤独死した父親に対し「もっとできることがあったのでは」という自己嫌悪があり、
「やけになって、相手の立場で物を考えられなくなった」状態で性的暴行を繰り返したとも語った。
「犯行の記憶」がないと主張するに対し、第2回公判で裁判官らがその理由を尋ねると、
黒いスーツに坊主頭の被告は、マスクの下から聞こえるか聞こえないかの弱々しい声でこう語った。
「自分のなかで罪悪感を持つような行為、記憶、消したい部分もある」
むしろ罪悪感を持つ行為であるほど忘れられないのではないか、という問いに対しても
「大体のことは覚えていますが、時間が経ってしまったとか、そういうことで記憶がない」と、
あくまでも犯行当時の記憶がないと主張し続けた。起こした事件については
「性的な動画に触発されたと思う」とも述べていたが、裁判長から動画の内容について尋ねられると
「何を見てたかってのは覚えてないですが、携帯で動画やビデオ見てました」と、
これまた消え入りそうな声で証言。「相手の同意なく蹂躙する方法での性行為というものですか」
と裁判長からさらに詳しく尋ねられ「はい」と認めていた。「性欲や好奇心、スリル感があった」
とも証言していたが、この詳細についても「どういう体してるのか、とか、どのような姿、
格好をしているのか自分でもこういう行為を続けたことについて」と語尾が聞こえなくなる。
そのため、裁判長が、「今後、大丈夫なんでしょうか」と、出所後の再犯可能性を危惧して問いかけた。
これに対しても、「二度と同じようなことはできません。そのために社会復帰できたら、再犯防止の」と、
やはり語尾が消え入るような声で答えるのみ。出所後の再犯防止に向けた決意は判然としなかった。
法廷では弱々しい振る舞いを見せながら自らの行為を「記憶がない」と繰り返した。
だが被害者たちは、事件のことを忘れられず、今も苦しみ続けている。「就寝中に馬乗りになった犯人に、
包丁を突きつけられた。本当に殺されるかもしれないという恐怖の中、完全にモノのように扱われた。
悔しくて仕方なかった。犯人は“警察に通報するな。どこまでも追いかけるぞ”と言っていたため、
何年もずっと怯えて生活していた。住んでいた部屋は引越しせざるを得なくなったが、
周囲に聞かれるたび、笑顔で誤魔化すのが本当に辛かった。 小さい音に過敏に反応するようになり、ほとんど眠れない日々が続いた。
ようやく日常を取り戻しかけたころ、犯人が逮捕されたと聞き、フラッシュバックするようになった。
涙が出てきたり、恐怖に襲われたり、何も手につかなくなった」
「包丁を見るたびに事件を思い出しておかしくなる。事件があって5年間は、
いつかまた犯人がレイプしにくるのではないかと恐怖に怯えていた。包丁を見ると、
これで自殺してしまおうかと考える。この苦しみが一生続くのかと思うと、耐えられるか不安になる」
犯人が長年逮捕に至らなかったことから、被害者たちは恐怖しながら日々を過ごしていた。
しかも、逮捕されたのが現職の警察官だったことについて、「犯人は警察官と聞き、とても驚いた。
もはや社会そのものが信じられない。絶望的な気持ちになった」とその衝撃を語り、「警察官だからこそ、
どのようにすればバレないか知っていたはず」と述べ、両名ともが、「一生刑務所にいてほしい」
と望んでいた。ところが、被告の弁護人は、警察官だったことをもって情状酌量を求めていた。
「警察官だったことから大々的に報道され、家族は離散した。自業自得と言えばそれまでだが、
警察官だったことで社会的制裁も受けた」と、広く報道されたことや、
退職金が不支給になったことなどを理由に、検察官による懲役17年の求刑に対して
“懲役10年”が相当であると述べている。終始、「記憶がない」と自らの行為に目を背け続ける。
「ずーっと昔に缶コーヒーのCMに出演させて頂いた。その時掲示板に殺人犯だとデマを書き込まれて、
『殺人犯を出すな』といった苦情が殺到」と回想。「事務所に問い合わせがあって事情を説明した」
と迷惑が掛かった状況でありながらも、「1番酷かった時期、にも関わらず契約期間を延長してくれた」
と当時の対応を伝えました。この投稿に「もともと好きで好印象でしたが益々好きになりました」
「いい会社なんですね」と好感度がさらにあがったという声とともに、
「違いのわかる企業ですから」と同社のCMでのせりふを用いて称賛する声が寄せられています。
99年ごろ“凶悪殺人事件の犯人”だと、根拠のないうわさ話をネット掲示板に書き込まれ、
誹謗中傷や脅迫、仕事先への嫌がらせを受けたことがありました。仕事が立ち消えるなどの被害があった 世界を相手にするグローバル企業の敏感さに比べ、
井の中のかわずであるテレビや新聞は事の重大性がいまだに分かっていない。
朝日新聞が出しているAERAや毎日新聞のサンデー毎日が、
毎週のように表紙にジャニタレを使い続けてきているのが、その証左である。テレビは様子見だが、
スポンサー離れがこれ以上進めば、手のひらを返したようにジャニタレを切り捨てるはずだ。
では、ジャニーズとズブズブの関係にあるNHKはどうするのか。9月11日の
「クローズアップ現代」は「ジャニーズとメディア“沈黙”なぜ」とこの問題を取り上げた。元歌謡・
演芸担当だった大鹿文明番組部長は、「芸能とか娯楽番組っていうのはやっぱり見てもらってなんぼ」、
そうなると、タレントが持っているファンの数が非常に欲しくなり、
性加害の問題には思いがいたらなかったと話す。だが、NHKの元音楽プロデューサーは、
文春とジャニーズ事務所の裁判のことは知っていたが、それを理由に「ジャニーズの起用をどうしようか」
といえば、「おまえ、おかしいんじゃないの?」といわれたと告白している。
元NHKのジャニーズ出演番組プロデューサーは、「ジャニーさんの家には何度も行っていたから、
子どもたちが泊まっていたことは知っている。でも、そういう“えげつない世界”や
“性的な部分”は知りたくないと思っていた。視聴者獲得のために清濁併せのんでやってきた」
と呆れ果てたことを言っている。NHKはすべてを知りながら、視聴率のために目をそらしていたのである。
テレビやスポーツ紙には“ジャニ担”といわれる下劣な太鼓持ちがいる。この際名前を公表したらどうか。
週刊現代でジャニー喜多川の性加害疑惑を取り上げたのは1981年。
ジャニーズ側の猛烈な抗議を受け、女性誌に飛ばされた。その後、
1990年から97年までフライデーや週刊現代の編集長を務め、ジャニタレの女問題は山ほどやったが、
ジャニー喜多川の性加害問題には触れられなかった。問題意識がなかったわけではない。だが、
やれば必ず社に圧力がかかり、ジャニタレを使えないと困るのは少年少女雑誌や女性雑誌、漫画である。
私が編集長を辞してからすぐに文春の追及連載が始まった。ジャニー喜多川の“犯罪”を見逃してきたという意味では同罪である。 ハラスメントは私のまわりにも溢れています。まずは最大の男尊女卑の根源が家の中にいる。
もちろん夫のことです。「女のくせに、遅くに帰ってくるなんて」と平気で言い、
どんなに私が忙しくても妻が食事の用意をするのが当たり前だと思っている。
他にも例をあげるとキリがないので、ここではこれ以上やめておきます。家の外では、会食している店で、
「おーい、ちょっとそこの女の子〜」と言ってお店の女性を呼ぶ男性をしばしば見かけます。
こちらもカチンときますし、今どきこんなに意識が低い人がまだいるんだと思って、
二度見してしまったりする。先日も頼まれてあるパーティーに行ったところ、
想像のはるか上をいく男尊女卑の巣窟のような場で、「こんなジイさんたちがまだいるんだ」
と感動すら覚えました。少し前のことになりますが、私よりやや年下の女性たちと話していた時に、
当時騒がれていたセクハラ事件が話題に上ったことがありました。その流れで私が、
「私たちの業界ってさあ、いっさいセクハラ無くてよかったよね」と同意を求めたところ、
私以外の全員が表情を硬くして「スッ」と引くではありませんか。
あったんだー!と思って、すごく驚いたものです。私は一度もそういうことがなかったので、
さすが健全な業界だなあと感心していたのです。
今の若手に聞いてみても依然としてそれらしきことはあるらしい。
だからみんなフェミニズムやジェンダー問題に敏感になっていくのかと合点がいきました。思えば、
私がセクハラと言ってしかるべきことを体験したのは、まだ「セクハラ」という言葉がなかった時代のこと。
養成所に通っていた頃、講師をやっていた大手広告代理店勤務の人と2人で飲みに行ったら、
「ホテルに行こう」と誘われたのです。今はその瞬間に「アウト!」という時代ですが、
当時の私がまず思ったのは、「へー、私なんかを誘うんだ」ということでした。さすがに
「ありがたい」とまでは思いませんでしたが、「どうもどうも。恐れ入ります」みたいな感じで、
全然腹が立ったりはしなかった。そうして、「一応、講師やってる立場で誘ったりしていいわけ」
「こういうのに乗ってくる女の子もいるんだろうなあ」という興味の方が勝ってしまい、
「世の中ってこういうふうに回っているのかー。面白いなあ」と学ばせてもらったものです 一応お断りしておきますが、もちろんついて行かなかったですよ。
まったく好みのタイプではありませんでしたし。時は流れ、そんな牧歌的な時代は遠い昔になりました。
オペラ歌手のプラシド・ドミンゴがセクハラで訴えられたり、
息をするように女性を口説くスペインやイタリアの男性は路頭に迷う時代になっています。
知り合いの男性は、部下の女性と2人で食事をする必要がある時は、
「もう1人か2人、誰か誘ってください」と気をつけているとか。
パワーバランスが釣り合う男女でないとサシでの食事をするのは難しい世の中になってしまったのかもしれませんね。
ただ、はっきりと一つ言えることがあります。「力を持っている人は誰かを口説いてはいけない」
今や、これを死守しなければ、口説いた方は社会から抹殺されるようになりました。
1回でも手を出したら終わり。二者の間で「自分が優位にいる」「自分の方が権力がある」
と思ったら口説いてはいけないのです。口説いたわけではないですが、
最近、気をつけなければいけないと思ったことが一つ。
廊下にカッコいい男性ばかり立っていることがあって思わず、「何イケメンばっかりどうしたんですか」
と口走ってしまったのです。あるスポーツ部の集いがあるということだったのですが、
今の私の立場で「イケメン」などと学内で言っちゃまずかろうと、ハッとしました。
口のきき方を今後は気をつけなければいけないなと反省した出来事でした。
時々、私より少し下の世代の女性から、「私たちが進む道を切り開いてくれました」
と感謝されることがあり、とても恐縮してしまうことがあります。
最近になって大学でフェミニズムを学んだ友人からも、「2年間フェミニズムをやると、
あなたの名前が必ず出てくる」と教えてもらいました。実は私自身、
そうしたことにまったく意識が高い方ではありません。「あまり触らないようにしている」
と言った方がいいかもしれない。「女流」という言葉にしても華やかな感じがして好きなのですが、
今の時代はそう言うと怒られそうだから「女性」と言うようにしていたり。
もともと私には「男が」「女が」という意識が希薄でした。
たとえば私の世代だと就職の時にはじめて女性差別を感じた人が多かったと思います。 歌舞伎町のホストクラブに突撃する企画が放送された。ホストらが極秘ネタをぶっちゃける内容で、
業界歴10年のホストが突然「某有名な大御所芸人さんの奥様とホテルに行った」と衝撃告白。
激ヤバネタを求めていたはずが慌て始め、おそるおそる概要を聞くと、
完全な禁断ネタであることが明らかになり、「あっ、嗚呼」と絶句し、「全カメラを止めてくれ」と声を上げた。
「人気芸人」は誰なのかを、小声で聞くと、声が出ないまま苦笑して後方に倒れ込んだ。
ホストによると、熱心な客だったそうで、「全身赤網タイツ」などパンチあるワードも飛び出した。
芸人は「いまバリバリに出てる方ですか?」と聞くと、困ったように「もちろんバリッバリよ」。
誰にも言っていないと伝えられると、苦笑して「言うたらアカンやつや、マジで」とツッコミ。
「ごめん墓まで持ってく。今まででぶっちゃけトップ」と語っていた。
結婚制度に疑問を抱いているからというわけでもないのだろうが、こんな知られざる一面もある。
「4度の結婚歴があることは彼の周囲ではわりに知られています。ただし、
全員と入籍したかは分からず、内縁関係のまま別れてしまった相手もいるかもしれません」もちろん、
それ自体は経営者としての評価を下げるものではあるまい。が、今回の発言を聞いて、元部下からは
「どの口が言うか」といった声も聞こえてくるのだ。かつて彼が社長を務めていた元社員の話。
「気に入った女性を秘書にして、その人と結婚した、と聞いています。
その人が4人目の奥さんでしょう。社長時代の幹部クラスでのあだ名は“荒波”でした。
直情型ですぐにブチ切れて人を怒鳴りつけるなどのパワハラ気質がひどかったからです。
秘書にした女性社員と結婚する、といった女性関係も含めて、“どの口が人権なんて言うの”
と思っている関係者は多い」社長ら幹部3人が「武器に転用できる噴霧乾燥機を中国に不正輸出した」
という外為法(外国為替及び外国貿易法)違反の容疑で警視庁公安部に逮捕された。
のちに起訴取り消しとなったが、逮捕の影響は大きかった。
噴霧乾燥機の国内シェアトップを誇った同社は、一時、受注が半減し、経営危機に陥った。「主なき会社」
を必死に守った社員に当時の話を伺った。社長ら幹部3人が逮捕され、苦境に陥った会社を社員らはどのようにして守ったのか。 当時は執行役員として国内営業を統括していた取締役と、
これまで財務畑を歩み現在は同じく取締役に話を聞いた。理工系の出身の技術部長も歴任し、
機械にも詳しい。直属の上司は、逮捕後、がんの悪化が判明したものの、なかなか保釈が認められず、
治療が手遅れとなり亡くなった顧問だった。「私が入社した時からの直属の上司でした。
機械の知識はものすごく豊富で、性格は昔かたぎの職人肌で仕事には厳しい人でした。
まあ、今ならパワハラと言われてしまうような指導もあったかな」と懐かしがる。
また「起訴取り下げで名誉回復できたはずなのに、直前に亡くなるなんて。
何が理由であんなに拘束を続けたのか、怒りで一杯です」とうつむいた。
外為法違反容疑の家宅捜索があった日、いきなり大勢の捜査員がやってきて、
「パソコンも携帯も出してください」「電話には出ないでください」と言った。
パソコンはおよそ1週間後には返却されたが、重要な書類はほとんど返されなかった。
書類がなければ、顧客からの古い製品の問い合わせや部品の注文に対応できない。
「(顧客に)家宅捜索で資料を持っていかれたとも言えず、『古い装置なので今はっきりはわかりません』
と言って営業担当が直接確認に行くなどして対応しました」警視庁公安部の聴取対象だった。
最初はエンジン部の幹部社員と共に原宿署に呼ばれ、その後は1人で通った。
最初に訊かれたのは「殺菌、滅菌の定義について」だったという。
「ちょっとでも菌が死ねば殺菌だと警察は言っていましたが、『うちのお客さんの言う殺菌の意味は、
アルコールでテーブルをさっと拭くとかいうのとは次元が違いますよ。
殺菌と言っても、うちでは滅菌に近い意味ですよ』なんて話していました」
取調官が「噴霧乾燥機があってはならない場所にあった」と言うから、「どこにあったんですか」
と訊いても答えなかったという。さらに「発言を聞いたか」とか「元取締役がこう言っていたのを聞いたか」
などと畳みかけてきた。技術部から営業部に移ったことを言うと「なんで変わったんだ」などとも言われた。
警視庁は「熱風殺菌で装置の内部がすべて100度以上になり完全滅菌できる→
作業者が安全に扱えるので生物兵器製造に転用できる→外為法に違反する不正輸出になる」との論法だった。 同社の研究所で試験業務を行った経験があり、機械の仕組みには詳しい。
「問題になった噴霧乾燥機は測定口のあたりも温度が上がりにくいということも、
フローシートで説明しました。相手は一応、聞く耳は持ってくれていましたけど」
その後、半年ほど任意調査が続くが、社長ほど頻繁ではなかった。
「いつまでも社長らの取り調べが続くので、
何かミスがあって書類送検でもされるのかなと思っていましたが、
社長らが逮捕されるなんて想像もしなかった」まさかの3人の逮捕だった。「あの日は、
研究所へ車で向かっていました。サービスエリアで社員からのメールを見て逮捕の情報を知り、
驚いて引き返した。会社は騒然としていました。NHKの取材も来て盛んに会社を映しました」
その後は毎朝、執行役員や部責らが集まって今後の対応を協議した。トップの代理となる専務は、
社長の息子だった。「拘束された3人に会いに行こうとしましたが、完全に接見禁止で、
顧問弁護士を通じて、雑誌などの差し入れ品を渡してもらっていました」
取引先は逮捕報道に敏感に反応した。「『もうおたくとは取引しません』
とはっきり言ってくるところもありましたし、何も言わず自然に去っていったところも。辛い日々でした。
それでも他社に発注を切り替えようとしていた大手企業の本社担当に懸命に説明したら、
『それなら問題はないですね』と戻ってくれたところもありました」苦境の中、
嬉しいこともあったが、それでも国内向けに年間20億円くらいあった受注が10億円に激減。
「会社が潰れてしまうんではないかと不安が襲っていました」と振り返る。そんな中、
社長らの刑事裁判が始まろうとしていた。「弁護士は『刑事裁判になっても勝てないことはない』
と言っており、無罪になると思っていました。私も研究所での実験に立ち会い、
うちの噴霧乾燥機が完全殺菌などできないことがわかっていましたので、
勝てるという感触は持っていました」予定されていた初公判4日前、
地検から弁護士に異例の起訴取り消しの連絡があった。すぐその知らせが入り、
「まずは無罪だったということでほっとしました」。懇意にしていたお客さんも「よかった」と言ってくれた。
「でも、地検には、詫びるどころか『本当は立件できたのに取り下げてやったんだ』というような傲慢な雰囲気を感じましたね。 社長も怒っていました。その後、民事訴訟を起こす話が出てきたので、私も『ぜひ戦ってください』
と社長に強く訴えました」遺族が社長らとともに、東京都(警視庁)と国(検察庁)
に対して総額約5億6000万円の損害賠償請求を起こした。裁判をすべて傍聴した。
「4人の現職警官が証言する日でした。前の週に安積(伸介)
警部補が証言と食い違う証言ばかりしていたので、
また警視庁の証言者がどう言って逃げようとするのかなと見守っていました」
濱崎賢太、時友仁の2人の警部補が弁護士の尋問に捜査が捏造だったことを明確に認め、
その動機を「上司らの出世欲だった」とまで打ち明けた。2人の告白についてこう話す。
「びっくりしましたよ。はっきりと捏造と言ったのですから。
逃げ切れないと思ったのでしょうか。そこまでの裁判で桃崎剛裁判長は、
警視庁側が証拠開示をまったくしないので不快感を持っていたようでした。裁判長が『欲とは何ですか』
とまで畳みかけて訊いたのは面白かったですね。これで勝ったなと思いました。けれど、
正直に話してくれた2人は現職の警官です。今後、警察内部で不利益を被らないか心配になりましたよ」
激減していた受注も今は回復した。「外為法の改正後も、
噴霧乾燥機の輸出では一社を除いて事前申請などしていなかった。わが社のように粉体を扱う会社は、
逮捕報道後、法令などを調べ直していました。ライバル社もうちに問い合わせてきましたね。
今後は同業社とも情報共有していかなくてはならないと感じました」かけがいのない上司を失ったが、
嬉しいこともあった。「この事件で退職した社員は1人もいなかったのです。
全員で戦おうと団結しましたね」取締役も、警視庁から取り調べを受けた社員の1人だ。
「警視庁は、逮捕した3人が噴霧乾燥機が輸出貿易管理令に該当しているのに
『非該当で行く』と共謀していたという筋書きだったのでしょうけど、
そんなことが会議で話題になったことなんて一度もないですよ」また「私を担当していた捜査官は、
どうも財務諸表の読み方もよくわかっていないんじゃないかなという印象を持ちました」と振り返る。
社長の右腕として任意聴取が続けられたが、経営判断は社長ら3人にしかできなかった。 「任意聴取を1年半もダラダラやっていたけど、決め手もなかったようだし、
これは逮捕なんてないだろうと思っていました。ところが。逮捕の日のことはもう思い出せないほどですね。
無実ですので裁判では負けないだろうと思っていましたが、とにかく会社を守らなくてはいけなかった」
最後は実験がポイントだった。起訴後、弁護士は4つのシナリオを持っていたという。
「【1】起訴取り消し、【2】無罪、【3】有罪で執行猶予、【4】有罪で実刑。驚くことに、
一番に起訴取り消しを持ってきていたのです。普通は無罪を一番にしますよね」
起訴取り消しなど滅多にあるものではない。それを弁護士は最も可能性が高いと考えた。卓見だった。
「地検は初公判の直前に起訴を取り消しました。冒頭陳述書ができないということでした」
メディアには努めて丁寧に応対した。「うちの主張をわかってもらうようにしたつもりです。
過去にマスコミ対応に失敗して評判を落とした会社をいくつか見てきましたから」
警察は起訴取り消しから約2年が経った日、ホームページでも公表している警察白書などで、
この事件を取り上げていた部分を削除した。同庁は
「起訴取り消しや関係者の削除要請を踏まえ対応を検討していた。
事件が報道などで改めて話題になったことも考慮した」と説明した。
2021年版の警察白書で、不正輸出対策の具体例として概要を記載したままだった。
実は長男が、警察白書に不正輸出の事例として残されているのをいち早く見つけて抗議していたのだ。
そのままでは後世にも不正輸出があったということにされてしまう。放置されることはもちろん間違いだが、
全面削除もある意味、ごまかしである。起訴を取り消したことを残すべきだろう。
この経緯を新聞記者に質問された松野博一官房長官は「係争中の事案につきコメントは差し控える」
とした。「起訴取り消しではっきりと冤罪とわかっているはず。
民事裁判があるからといってコメントしないのはおかしいでしょ」と話した。
起訴を取り消した塚部貴子検事にも直接調べられた。
「塚部検事の部屋に呼ばれて『弁護士からレクチャーを受けているでしょ』と、
なんだかこちらが悪いことしているような感じで言ってきましたね。 あと、塚部検事の部下の検事は、警察の調書を見て、これは『無理やりかな』みたいなことを言っていました」
弁護士は「貿易担当の女性と社長の右腕も逮捕予定者でしたが、
最終的な逮捕は社長ら3人だけということで免れました。
塚部検事が直接取り調べた唯一の社員だったのです」と話す。最後にちょっぴり自慢げに話した。
「やはり、相手にまったく妥協せずに正攻法で戦ったことがよかった。
CALL4(公共訴訟の支援に特化したWEBサイト)のコメントを見ても、
戦ったことを高く評価するコメントが多かったですよ」そもそもの発端は、
学園に財務省が国有地を不当な安値で販売したことだった。その過程で元首相の夫人が財務省に対して、
便宜を図るように働きかけた疑いが濃厚なのだが、元首相は、国会で、
「私や妻が関係していたということになれば間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」と答弁した。
この答弁により、財務官僚は、元首相夫妻の関与を徹底的に否定せざるを得なくなった。
認めれば辞任、政権崩壊に直結するからだ。そこから、
夫人の名前などが記された公文書の改ざんが始まった。その陣頭に立ったのが当時の理財局長だ。
責任は、財務省の調査報告書でも認められたが、具体的にどのような形で改ざんが行われたのか、
財務省や政権幹部の関与があったのかなどは一切明らかにされていない。組織ぐるみの犯罪なのだが、
財務省は近畿財務局職員一人に責任を負わせようとした。本件に関わった数十人の財務官僚の中で、
唯一、改ざんに異を唱えて上司に直訴した。しかし、他の官僚は同調せず孤立。結局、改ざんを強要された。
深い自責の念に囚われてうつ状態に陥った追い詰めたのは、財務省と結託した検察当局だった。
本件を小さな事件で終わらせるという政権の意思が明確に働いた。主治医が止めたのにもかかわらず、
検察は接触し、その結果、自分が全ての責任を負わされるのだと悟り、「最後は下部がしっぽを切られる」
というメモを残して命を絶った。財務省の望み通りの展開だ。改ざんに唯一反対したがいなくなれば、
死人に口なしで、好きなように口裏合わせができる。財務省が流したのは、非常に心の弱い人間だったこと、
そして改ざんに手を染めた罪の意識で勝手にうつになり命を絶ったというシナリオである。 |/-O-O-ヽ| ブツブツ・・・
| . : )'e'( : . | ハァハァ
` ‐-=-‐ オレハカミサマダァァァァ
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||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ ( ;´Д`) (なに言ってんのこの負け犬オヤジw)
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ) 見えない敵と戦ってる統合失調症野郎w 経済産業省の官僚時代に会計課や経済産業政策局の課長などの立場で財務省主計局の官僚と嫌になるほど折衝を行った。
同年代の主計局の官僚との「懇親会」などにもよく参加した。よく見かけた。
そこで得た財務官僚のイメージは、「鉄の規律を守る軍隊組織」である。
ただし、この規律を支えるのは高邁な使命感ではなく、
出世と他の官僚たちが羨む退官後に用意された高級天下り生活への期待である。
決済文書をときの首相のために改ざんするという「犯罪行為」を行えという上からの指示に抵抗した者が、
ただ一人しか出なかったのは、この鉄の規律によるところが大きい。改ざんが行われた当時だけでなく、
尊敬すべき同僚が命を絶った後でも、さらには、元首相が凶弾に倒れた後でさえ、
なお、口を開く人が出ない。鉄の規律がいかに強力なものかを物語る。逆に言えば、
それに立ち向かったいかに勇敢だったのかもわかる。こうした背景を知れば知るほど、
なんとかして鉄の規律を打ち砕き、真相を明らかにして欲しいと思う国民は増えるはずだ。
民主主義がどうのこうのと言う前に、
人間ならこんな不公正をそのままにしておくわけにはいかないという気持ちが湧き上がってくるだろう。
ましてや、公文書改ざんを行ったという汚名だけを着せられ、
トカゲのしっぽ切りという政権の意図によって、夫を「殺された」が「真実を知りたい」
と心の底から思うのは当然のことだ。国民のほとんどは思いを実現してあげたいと思うだろう。
そこで、最も期待がかかるのが司法である。いくつかの訴訟に一縷の望みをかけ続けてきたのも、
自民党が牛耳る国会や内閣には期待できず、司法しか頼るところがないからだ。
しかし、司法は、か弱きに味方することをせず、巨大な権力の側につく姿勢をとり続けている。
公文書改ざんを強要して俊夫さんを死に至らしめた国(財務省)の責任を問い、
損害賠償請求訴訟を起こした。しかし、国と裁判所は驚くような対応をした。当初、
責任を全面否定していた国がある日突然1億700万円の損害賠償請求の支払いに全面的に応じた
(認諾という)。国が自ら責任を認めて1億円もの損害賠償に応じることは異例中の異例である。
では、どうしてそんなことをしたのか。 実は、審理が本格化して財務官僚への証人尋問により、
様々な事実関係が明るみに出るタイミングだったので、それを防ぐために訴訟を終わらせたのだ。
このとき私は、政府の卑劣な仕打ちを批判するツイートをした。
すると、「心にぽっかり穴が開いたみたいです。一つ終わりましたが肩の荷は一層重くなった気がします」
というショートメールが入った。彼女がどれだけ落胆したのかが伝わってきた。
国が責任を認めたということは、誰かその責任者がいたということになる。
責任者不明だが、責任があるというのはおかしい。
そして、その責任者に対して、国は支払った1億円を請求して然るべきである。
国家賠償法第1条第1項では、「公務員が職務で他人に損害を加えたときは、
国又は公共団体が賠償責任を負う」という内容の規定がある。
公務の執行にあたり、ちょっとした過失で他の人に損害を与えた場合に大きな賠償義務を課すのでは、
公務員が安心して職務を執行できないからという趣旨である。
しかし、一方で、同じ法律の第1条第2項には、「故意又は重大な過失があつたときは、
国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する」と書いてある。
公務員に故意や重大な過失があれば、
国がとりあえず払った賠償額を本当に責任がある公務員に弁償させる(求償)という意味だ。
「わざと悪いことをしたのなら、国ではなく、そいつに払わせろ」
という自然な国民感情を表した条文である。公文書改ざんには、
明確な「故意」それも重大な犯罪行為の故意がある。財務省の報告書では、
当時の理財局長に責任があることを事実上認めている。
だとすれば、国は、支払った1億700万円を求償すべきだ。その求償権が行使されなければ、
被害者感情を著しく損なうことになる。したがって、これほどの例外的な悪質事例では、
直接損害賠償請求をする道を認めるべきだと考えられる。そこで、損害賠償訴訟を起こしていた。
もちろんお金のためではない。訴訟で真実を語ってもらいたいという願いがあるからだ。
しかし、地裁は、尋問を行うことを認めず、何も明らかにしないまま、訴えを全面的に退けた。
真相を隠したいと考える国に忖度した訴訟の進め方だった。再び落胆した。それでも気を取り直して、
控訴したが、高裁でも厳しい戦いが予想される。 「先生から性的暴行を受けてたことがみんなに知られると、
普通に学校に通えなくなるんじゃないかと不安があり、声を上げられなかった。
その後、忘れたくても忘れることができず、心の中に抱えて、誰にも言えずにいました」
元教え子は、教師として優れていたと語る。「学校内ですれ違った時に挨拶をすると笑顔で返してくれた。
素行が悪い生徒に対しても、怒鳴ったりきつい言い方で叱ったりすることはなく、
落ち着いた声で優しく諭すように指導されていたと記憶しています」そんな評判の一方で、
「裏の顔」があった。「約30年以上も前のことです。まだ教員になって間もない先生は、
夏休みになると特定の女子生徒をプールに連れていっていました。
異常な距離の近さに『おかしくない?』と女子生徒の中で話題になっていた。
その中で特に先生のお気に入りだった子の近況を、同級生から聞かされたのは数年前。
内容は驚くべきものだった。「先生と結婚したというのです。
同級生にウエディングフォトを見せてもらったのですが、先生と幸せそうに写っていましたよ。
当時、『中2で処女を捨てるのって早いかな』と同級生に話し、
その相手が先生ではないかと噂になったこともあった」結婚時に撮影した写真を独自に入手した。
そこには脇でほほえむ姿が写っている。自宅周辺の近隣住民はこう語る。「3年ほど前、
不倫相手を妊娠させてしまって、当時の奥さんは息子さんを連れて出ていったと聞きました。
その妊娠した不倫相手と再婚なさったんです。子供は2歳くらいだと思います。
まだ小さいお子さんを先生がお風呂に入れる声が聞こえるし、散歩させているのを見かけますよ」
妻子ある身でありながら、教え子との道ならぬ恋に突き進み、ついには再婚までしてしまったのだ。
異常な行動は勤務していた別の学校でもあったという。
5年ほど前に副校長として勤務していた中学校を卒業したこう証言する。
「いま思えばぞっとするのですが、当時は学校のトイレの管理をする『トイレ係』の先生でした。
女子トイレの周囲をしょっちゅううろついているのを見かけました。
女子生徒には熱心な進路指導をしてくれたことを覚えていますけど、先生が事件を起こした後、
同級生の男子に先生の印象を聞くと、『俺たちにはまったく関心がなかった』と吐き捨てていましたね」 女子中学生は長年にわたり、鬼畜教師から陵辱された過去を誰にも打ち明けられず、
一人で悩み苦しんでいた。教え子の性器を触っている画像などを所持したとして、児童買春・
ポルノ禁止法違反(単純所持)の疑いで、中学校校長(55)が逮捕された事件は新局面入り。
別の教え子にも性的暴行を加え、けがをさせたとして、準強姦致傷容疑で再逮捕した。
手口はこうだ。以前勤務していた中学校でマッサージを口実に女子生徒を呼び出し、
教師に抵抗しづらいのをいいことに、校内で女子生徒を複数回レイプ。わいせつ動画を撮影していた。
「最初の立件で校長室から押収したビデオカメラの映像を解析したところ、
今回の被害女性が写っていた。そこで本人に事情を聴き、実態が明らかになったのです。
動画は複数あり、日付はバラバラでした。隠し撮りといった感じではなく、
女子生徒は撮られていることを認識しながら、嫌々、教師の要求に従っていたみたいです。
2人は交際していたわけでもなく、女子生徒に恋愛感情はなかった。報道を見て
<私も同じような被害に遭いました>という教え子からの相談が相次いでいるようです」
一連の動画が撮影されたのは、強姦罪が法改正される2017年以前だったことから、
準強姦致傷容疑で調べを進めている。事件以降、女子生徒はトラウマに苦しむ日々を送っていた。
当時、被害を訴え出なかったことについて、女子生徒は
「先生から被害を受けていることが皆に知られることで、普通に学校に通えないのではないかと思った。
不安があり、声を上げられなかった。その後、忘れたくても忘れることができず、
心の中に抱えて誰にも言えずにいた」と、つらい胸の内を明かしている。
一方、「姦淫の意識はなかった。女子生徒を好きになってしまい、性的欲求を抑えられなかった」と供述。
わいせつ動画に関しては、「再び見ることがあると思って保存していました」と話していた。
女子生徒たちが生涯消えることのない深い傷を負ったというのに、
自ら撮影したわいせつ動画を見て喜んでいたのだから、クズの極みだ。「最初の逮捕は、
教職員による性暴力の相談窓口に、以前の勤務校の元生徒が匿名で『過去にわいせつ行為を受けた』と連絡して発覚。 「クライシスアクター」「豊島保養所」←画像検索&拡散!!
他スレに丸ごとコピペよろしく!!!!!!
ネット上でできる反レプティリアン・反イルミ活動です!!!!!!
動画サイトのコメ欄も狙い目だぞ!!!!!!!!!! 自宅や車、学校を家宅捜索したところ、校長室の机の中から、
生徒の裸や下半身を触るなどのわいせつな画像、動画が保存されたビデオカメラを発見した。画像、
動画の内容からして本人が学校内でわいせつ行為をし、その様子を撮影したものとみられています。
ビデオカメラには複数の女性の画像、動画が確認されていて、
今回再逮捕になったのもカメラ内に別の女子生徒に性的暴行を加える動画が見つかったことによるもの。
取り調べで、2人目の被害女性については『マッサージをしてあげる』
として校内の一室にたびたび呼び出し、犯行を重ねていたことがわかっている。
ビデオにはまだほかの女子生徒の画像、動画が保存されていて、今後、再逮捕が重なる可能性が高い」
教育者としてエリート人生を歩んできた。偏差値70超の高校から東京学芸大学教育学部に進学し、
その後、都内の中学校に理科の教師として赴任。2019年に現在の中学校の校長に就く。また、
今年の全国中学校理科教育研究会の事務局長を務めるなど教師の“出世街道”を歩んできた。
過去の教え子はこぞって「優しい先生」「熱心な先生」と口を揃え、
現在の中学の保護者からも好感が高かった。「優しい校長と言うイメージしかありませんでした。
校長は『挨拶を大切にして、人として成長していこう』という教育方針を掲げていて、
毎朝、生徒ひとりひとりに挨拶をしていました。
運動会でも最後までみんなの競技を真剣に見守ってくれていたのを覚えています。
事件が起きてから、学校側から生徒に『校長が逮捕された』という報告があり、
保護者会も開かれましたが、それ以降は報告もなく。今回の再逮捕では校内に呼び出して、
ああいう行為をしていたとわかって恐怖しかありません」
一方、近隣住民からは「一見真面目に見えるけど女性が好きな人」という証言が多く聞こえた。
「再婚で、前の奥さんとの間に子供がいました。もう高校生、大学生くらいになっているはず。
でも7〜8年前くらいに離婚したみたいで、今の奥さんと3年ほど前に再婚。
奥さんは歳が離れていて40代前半くらい。子供も生まれて、2〜3歳くらいだと思います。
事件前は夕方によく3人で散歩してましたよ。喧嘩の声とかは聞こえたことがないですね。
子供をお風呂入れている声とかよく聞こえてきたんですけどね」 よく知る別の住民はこう語る。「実はいまの奥さんは3人目でして。
一見真面目に見えるのでそうは思えないかもしれませんがよく知る人たちの間では“好色家”
として有名でした」1999年に現在の自宅を購入している。その当時、ごく一部の近隣住民しか知らない
“1人目の女性”がいたという。「自宅は建売住宅で、契約の際に売主、
仲介の不動産会社や近隣住民に挨拶しにきたんですが、その時に連れていた女性と、
入居時の挨拶の際に連れていた女性が違っていてすぐ噂になりました。
1人目の女性とは問題があって別れたと聞いています。7〜8年前に2人目の奥さんと離婚して、
いまの一回り下の奥さんと再婚したんですが、きっかけは不倫と言われています。
3人目の奥さんが家に来るようになったときにはすでにお腹が大きかった」その“好色”
の矛先が教え子にも向かっていたとは。尾形聡彦氏(Arc Times創業者兼CEO編集長)
望月衣塑子氏(東京新聞記者・Arc Timesキャスター)
本間龍氏(ノンフィクション作家、YouTube番組「一月万冊」)
佐藤章氏(元朝日新聞記者、YouTube番組「一月万冊」)
松谷創一郎氏(ジャーナリスト)鈴木エイト氏(ジャーナリスト)
経済財政担当大臣(当時=73)とUR都市機構(独立行政法人都市再生機構)をめぐる「口利き疑惑」
では、大臣室などで関係業者から怪しいカネを受け取っていたことを認めつつも、その後、
「睡眠障害」を理由に雲隠れ。2019年7月の参院選を巡る大規模買収事件で、懲役1年4カ月・
執行猶予5年の有罪判決を受けた元参院議員(50)も、事件が発覚した直後、「適応障害」
を理由に国会を欠席し続けた。ほかにも公選法違反疑惑やパパ活疑惑などが報じられたにもかかわらず、
病気と称して記者会見などを開かず、所在不明になる自民党国会議員は枚挙に暇がない。
会見で友好的な記者しか指名しないという姿勢も同じだ。会見では「NG記者リスト」の存在が発覚したが、
首相会見では雑誌記者やフリーランスはほぼ「NG扱い」。厳しく追及する記者に対して、周囲の
“仲良し記者”から「ルールを守れ」などとヤジが飛ぶ様子もそっくりだ。そして極め付きはメディアに対するけん制だろう。 事務所は公式サイトで、「性加害に関する一部報道と弊社からのお願いについて」と題した声明を公表。
メディア報道の中に“虚偽告発”の可能性があるとして慎重さを求めたわけだが、
これも自民党政権の動きを彷彿とさせる。自民党は2014年11月、在京各テレビ局に対し、
総裁特別補佐の筆頭副幹事長(当時=60)と党報道局長(当時=69)の連名で
「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題した文書を送付。
今回の文書と同じ「お願い」とあったものの、報道に対する露骨な政治介入として批判の声が出ていた。
3月の国会質疑でも放送番組の政治的公平を定めた放送法の解釈をめぐり、当時の官邸が「介入」
していた疑惑が浮上したが、巨大権力をバックにメディアを「恫喝」するのが自民党だ。
事務所は自民党の「誤った危機管理対応」をマネ。記者のあまりの不勉強ぶりだ。
役人時代から記者会見を度々行っていたので知っていたが、
かつては記者会見自体が外部にも知らされなかったので、世間の人はわからなかった。
しかし、今では誰の目でもわかるようになった。そもそも記者会見の場を、
一部の記者は自らの意見表明の場、記者会見で特ダネ、スクープがとれるとも勘違いしている。
どちらもあり得ない話だ。それに、記者は一般人より優れた質問ができると自惚れているのも、
間違いだ。一部の鋭い記者は、短い質問で事実関係だけを聞いてくる。
それも応答ぶりを見て、矢継ぎ早の短い質問で攻めてくる。役人時代に更問といい、
応答の後にそれに関連するさらなる追及の質問を2,3つ用意していた。しかし、それ以上に深い知識・
事実に基づく追及があるとお手上げだ(ただし、ほとんどの記者は不勉強なので、
それらを使うことはなかった)。万が一にもそうした事態を回避するには、一問一答方式がいい。
記者会見担当のコンサルも、全体時間を区切り、一問一答まではセオリー通りだったが、
NGリストはありえない。記者会見の進行管理でしばしば行われる手法であるが、
リスクに挙がっている人を見たら、救済スキームについて質問できる人なんていないので、
逆に指名して時間潰しに好都合の人ばかりだ。
NGリストに挙がっている人のほうが好都合だという政府高官もいた。その意味で、このコンサルは素人だ。 事務所が全容を解明し、「タレントを守らない」自らの体質を転換できないのは、
事務所だけの責任ではない。変わりたくない、という彼らの意思に寄り添い、
それを支える多くの援軍がいるのだ。ここでは4グループの協力者を挙げておく。
第一の協力者は再発防止特別チーム。報道による告発を除けば、彼らが作った調査報告書は現在、
まとまった形での唯一の参考資料だ。だが調査の欠如を何度も指摘しているのに、
提言では、さらなる調査が必要、という話は消えている。
被害認定に当たり、「法律上の厳格な証明を求めるべきではない」
という異例の形で救済措置制度を作ることを提言したのは画期的だ。だが、そのバーターとして、
詳細な事実認定を行い、それに基づく的確な対策を提示する、という本来の役割を放棄している。
つまりこの報告書自体が、事務所が調査せず隠蔽・放置してきたという事実を結果的に放置する
「隠れみの」としての役割を果たしている。性加害を認め、謝罪して救済すればすむ話なのだろうか。
提言も、人権方針の策定や研修実施、ガバナンスの強化などごく標準的・表面的な内容にとどまっている。
結局、話を小さく収めたい事務所の意向から大きくそれたようには思えない。元検事総長だった林眞琴・
同チーム座長は、これが本当に包括的調査の必要ない事案だと考えているのだろうか。
第二の協力者は、この件について、頑として調査や捜査をしない政府や警察、
国会などの公的機関だ。現在の混乱ぶりを見ても、もはや再調査を事務所に任せるのは無理だ。
公的機関の介入の必要性が高まっている。海外でも、
アメリカのペンシルベニア州立大学で起きたアメフトコーチによる未成年の少年の性加害事件では、
存命の被疑者は当然逮捕されているし、イギリスのジミー・サビル事件でも、
被疑者死亡の下、捜査が行われている。その上でさらに、性加害の現場となった組織が、
外部の人間に委託して内部調査を行っている。つまり警察による捜査と、
当該組織による内部調査の二本立てで全容解明の努力がなされ、
それを通じて社会的正義の実現がはかられている。それに比べ、
性加害問題では、警察の捜査による全体像の取りまとめといったことはされず、
再発防止特別チームによる内部調査も、わずか約20人の被害者を対象にしただけ。 国際基準から見た場合、いかに不十分かわかるだろう。
来日した国連人権理事会作業部会が8月に発表した声明で、
「政府が主な義務を担う主体として、実行犯に対する透明な捜査を確保し、
謝罪であれ金銭的な補償であれ、被害者の実効的救済を確保する必要性」を口にし、
国の関与を求めたゆえんだ。公訴時効があったとしても、事務所は、
本来であれば法的責任があるという認識を公的に共有する作業が必要なのだ。
公的機関が関与すべきもう一つの理由に、社会的影響の大きさがある。
ニュースとして連日大きく報じられる中で、女性など、
事務所と直接関係のない性暴力の被害者たちも、大きな心理的苦痛を受けている恐れがある。
さらに今後も、加害者による性虐待の告発が頻発する可能性がある。現にNHKが10月9日、
局内で性加害が行われていたと報道したばかりだ。つまり、いつまでたっても適切な対処が行われている、
という社会的な認識が得られない。これも包括的調査による全容解明がなされないからで、
だから大きな枠組の下でまとめていくプロセスが必要なのだ。第三の協力者は、
そうした公的機関の介入が必要であると、強く主張しないテレビや新聞、雑誌などの大手メディアだ。
これは二重の意味で問題だ。これまで保身と自らの利益のために、
性加害について沈黙を保ってきたのに、それを反省すると言いながら、
再び報道機関として果たすべき役割を怠っているからだ。4つの協力者グループの中では一番罪が重い。
特にタレントを長年起用してきたテレビは、「未成年のタレントを守ることを怠った企業」
の片棒をかついでいたわけだ。テレビ局による検証報道は一部で始まっているが、
テレビ朝日のように無視したままのところもある。
また、検証報道をしても、一方で事務所側の会見指名候補リストに名前が載り、
実際にお手盛り質問をしていたTBSのような事例もある。テレビへの信頼を回復するには、
性加害をしていたことを薄々でも知らなかったのか、それをなぜ放置したのか、という問題に加えて、
番組制作や報道をする上で、事務所からどのようなメディアコントロールを受けてきたか、
見返りとして、編成や制作部門は便宜供与を受けていなかったか、などについて、
第三者委員会による調査を行うべきだ。これは新聞や雑誌も同様だ。 第四の協力者は、意外かもしれないが、実は所属タレント自身。旧経営陣の弾除けのように使われ、
人生の目的だったはずのタレント活動に支障が出て、自らのイメージまで毀損されている。
それでも事務所の新しい顔として支え続けている。だが、この事務所は、
タレントを守ることを怠ってきた組織だ。そして、そうした2人が上に立つことによって、
他の所属タレントが今後、自由に行動する権利を妨げている恐れがある。
2人が体現する自己犠牲的で献身的なタレント像がもたらす弊害についても、考える必要がある。
タレントは元々、まじめで行儀がよく熱心、という「いい子」のイメージが強い。
日本の若いタレントには、制度の枠内で期待された役割をこなす、利口で従順な印象がある。
それは、反抗的で当たり前とされるアメリカのティーンエイジャーのイメージとは正反対だ。
それが悪いわけではない。だが、何十年もずっと噂レベルで存在しながら、
なぜ事務所の児童性虐待は問題化しなかったのだろうか。背景には、
こうした従順な子供を求める予定調和的に平穏な日本特有の空気がある。
事務所が分割されようが、社名が変わろうが、出演CMや番組がキャンセルされようが、何も変わりない。
常識的な考えからすると、加害者が被害者の苦しみを想像することができ、反省や後悔を促せば、
次は同じことをしないだろうというイメージがあるかもしれません。つまり、「相手の気持ちを考えてみよう」
と、加害者の共感性に訴えかける考え方です。しかし実は、性犯罪者に対して、
被害者への共感を強化するように、「被害者がどれだけ苦しいか考えてみましょう」
働きかけるのは、効果的ではないという研究エビデンスも複数あります。
つまり性犯罪というのは、他者に対する共感だけで統制できる行動ではないということです。
性犯罪行為の背景にはさまざまな要因があります。そのため、
性犯罪を性欲の高まりによって起こしてしまうものと理解するのは単純すぎる間違った捉え方ですが、
それでも、食欲や睡眠欲といった根幹の衝動が理性だけでコントロールすることが困難な状況があるように、
性欲が一定の役割を果たしているケースもあるでしょう。要するに「被害者が悲しむから、やらない」
という共感的な考えだけでコントロールする・できるものではない行動ということなのです。 その点において、性犯罪の再犯防止プログラムにおいては
「反省なき更生」をスローガンにするべきではないかという議論もあります。
「悪かった、もうしません」と反省の言葉と態度を示しながら、また加害してしまうよりも、
反省すること、させることに多くの時間やエネルギーを割くのではなく、
二度とやらないための具体的な方法を考えたほうがいい。
そのためには行動コントロールができるようになることを第一とし、
そのための介入をするべきではないかという考え方です。
もちろんこの考え方は倫理上の議論があるところかもしれませんが、
性犯罪者は人権について深い理解を求める働きかけより、
どうすれば犯罪行為をせずにすむかを考えていく方が再犯防止には効果的であることも多いのは事実ですし、
そのために「犯罪を起こしたら、自分の人生はまずいことになる」と利己的に認知していくことも、
行動のコントロールには役に立つこともあるわけです。
性犯罪や性犯罪者に対する一般感情からは納得のいかない考え方ではあるでしょうけど。
この予防的なアプローチの治療において、薬を用いるのか。
これもよく聞かれますが、日本の現在の法制度の下では、
パラフィリアの治療や性犯罪行為の抑止を目的とした薬の処方はできません。
一方、カナダやアメリカ、イギリスなど海外では既に実施されているところもあります。
使用される代表的なものはSSRIという抗うつ薬です。SSRIの効果がみられないようなより深刻な場合は、
抗うつ薬にプラスし、MPA(メドロキシプロゲステロン酢酸エステル)やCPA(酢酸シプロテロン)
といったホルモン薬剤を、最重度のパラフィリアの人には、さらに黄体ホルモン放出作用剤
(LHRHアゴニスト)が投与されます。ただし治療に薬を使う国においても、
使用する薬剤はばらつきがありますし、薬を使うべきか、使うべきではないか、
有効性や副作用に関する見方など、いまなお専門家の意見はまとまっているわけではありません。
さらに、薬物療法単体でこの問題の解決を目指す医療機関や施設はなく、
どの施設においても認知行動療法など、
その人の考え方や行動にアプローチする介入と併用して実施されています。
そもそも日本で薬物療法が導入されていないのは、解決していない課題がいくつもあるからです。 一つは薬物療法を行うことの有効性の評価が難しいということでしょう。
薬物が性犯罪行為という行動に対する効果が十分にあるといえるかというと、研究エビデンスでも、
専門の実践者の意見にもばらつきがあります。研究によって結果がばらついていて、
薬が処方されている国でも議論がまだ残っているものを積極的に承認することはないのではないでしょうか。
また、パラフィリアや性犯罪行為に対する薬物療法の妥当性が十分に担保されていないという面もあります。
薬には副作用もありますし侵襲性のあるものです。副作用や侵襲性を超える利益があるということを、
医療だけでなく刑事司法制度の面からも保証できるのかというと、簡単には答えは出せません。
当然倫理的な問題も生じます。そういった課題を抱えている現状から、
今の日本では薬物療法が導入されていないと考えられます。
性嗜好異常の治療は、本人がさまざまな意味で困っていることから始まります。
しかし、事務所の人たちをはじめ、誰からも責められることはなかったでしょうから、
本人は困っていなかった可能性はかなり高いのではないでしょうか。
自分の性嗜好性について苦痛も生きづらさも感じていないという状態だった可能性があるわけです。
もしそうだとすれば、そこに治療を受けようというモチベーションは起きませんし、
もちろん日本では法制度上、処方可能な薬もありませんから、
仮に治療させようと考えたところで、どうしようもなかったでしょう。性加害をさせないためには、
物理的に性加害ができない状況にすることくらいしかなかったのではないかと思います。
加害行為を行う小児性愛障害は現実に存在しますし、男児を含む性被害も毎年少なからぬ件数で起きています。
しかし、性嗜好を変えようとすることは精神医学の治療が目指すものではないのです。
ですから治療法があるとかないとかいう話でもありません。
性嗜好異常は、そもそも病理やメカニズムが解明されていませんし、
性嗜好とは何かを考えると、「病的な性的嗜好」というものはないのです。
それでも他者に害悪を与えうる性嗜好というものはありますので、それを仮に病的だと認定しても、
その人の性格や価値観として根付いているものを「治せる」のかというと、それも疑問です。
そもそも性嗜好異常は、本質的に生涯続く状態です。 地区別の社長「輩出率」は、四国が1.07%(前回1.09%)で調査開始以来、10年連続でトップを守った。
以下、東北0.89%(同0.91%)、北海道0.87%(同0.88%)、中国0.80%(同0.82%)、
北陸0.76%(同0.79%)、九州0.69%(同0.72%)、中部0.62%(同0.64%)、
近畿0.50%(同0.51%)、関東0.44%(同0.45%)の順。9地区全てで順位の変動はなかった。
人口が集中する東名阪の大都市圏を含む地区では、「輩出率」が低く抑えられる傾向は変わらず。
出身都道府県内に本社がある企業の社長を務める社長「地元率」は、沖縄県が92.5%(前回92.8%)で、
調査を開始以来、10年連続トップだった。47都道府県のうち唯一、9割を超えた。
離島という地理的条件に加え、「観光、公共事業、基地」が県内産業の核になっており、
他県からの移住組より地元出身者が起業するケースが多いとみられる。
TSRが5月16日に発表した“2022年「全国新設法人動向」調査”では、
県内の普通法人数に対する2022年の新設法人の割合が7.5%で、13年連続トップだった。
コロナ禍前から、観光産業関連を中心に起業意欲が旺盛なことも地元率を高めたようだ。
「地元率」の上位は、2位愛知県89.0%、3位広島県87.3%、4位北海道87.1%、5位香川県85.9%、
6位宮城県85.7%が続く。いずれも地方の中核都市で、域内ビジネスでは主導権を握るのに有利だ。
また、愛知や広島は自動車産業の集積地で、取引先や関連企業など裾野が広く、
下請け企業の後継社長も多いとみられる。一方、「地元率」が最も低かったのは、奈良県の64.9%。
このほか、長崎県66.5%、兵庫県67.6%、佐賀県68.8%、山口県69.2%、鹿児島県69.5%が7割を切った。
西日本勢が目立つが、逆に他県で活躍する社長を輩出する県ともいえる。地区別の「地元率」では、
北海道が87.1%でトップ。次いで、中部84.3%、四国82.9%、東北81.9%、北陸81.3%、中国81.1%、
関東77.4%、九州77.1%、近畿74.2%の順。社長「輩出率」は各都道府県の県民性もさることながら、
人口動向や産業構造、地政学的な要因など幅広く影響する。 娘役(25)が、自宅マンションの最上階から投身自殺を遂げたことが報じられた。しかもその理由が、
団内における執拗なまでの“いじめ”にあったという。深夜におよぶ上級生からの罵声や説教は序の口で、
先輩からヘアアイロンを額に押し付けられるなど、“集団リンチ”
と見紛う状態が日常茶飯事だったようなのだ。「まだこんなことが平然とおこなわれていたのかと、
暗澹たる気分になりました」と呆れるのは、元演劇記者である。「実は、つい3年前に朝日新聞が
《「伝統」の一対一指導廃止》と題する1面スクープを掲載したことがありました(2020年9月12日付)。
長年続いてきた、宝塚音楽学校内における“慣習”の廃止を決定したとの記事でした。
このとき話題になったのが、“阪急電車へのあいさつ”なる、驚くべき慣習です」
それは、予科生(1年生)は、電車から降りた際、ホームに立って電車に対してお辞儀をするというもので、
通称“予科事”〔よかごと〕などと呼ばれていた。ファンや沿線の住民にとっては周知の光景だったが、
一般にはあまり知られていなかった。「私も、駅でお辞儀している女の子を何度か見ました。
ただしそのときは、正直、とても美しい習慣だと思っていました。というのも、グループですから、
いってみれば音校生は、“準社員”的な立場でもあるわけです。ですから乗客に向かって
『ご利用いただき、ありがとうございます』との意味で頭を下げているのだとばかり思っていました」
たしかにその意味もあったが、実は、それだけではなかったのだ。
「あとになって知ったのですが、なんと電車のなかに本科生(2年生)が乗っているかもしれない、
そんないるかいないかわからない先輩に向かって頭を下げていたのです。これを知って以降、
頭を下げている子を見るたびに、なんとも複雑な思いを抱いたものです」ほかにも、
予科生は本科生の前では、眉間にシワを寄せる“予科顔”〔よかがお〕をせよ、
校内清掃の場所と方法は本科生から一対一で指導を受けるなど、とにかく予科生は徹底的に
“しごかれる”システムになっていたのだ。「実は、これらの習慣が廃止になるきっかけは、
予科生に体調不良を訴える子がつづいたことでした。 学校側が重い腰をあげて調査したところ、予科生は、本科生の指示で、毎晩、
レポートや反省文を書かされていたのです。しかも、その量が多ければ多いほど認めてもらえるとあって、
なかには徹夜状態で取り組んでいる子もいた。自分のダメぶりを徹底的に表にさらすことで、
上部に従順になるこれはむかしの連合赤軍が用いた“自己批判”手法そのものです。このときは、
不気味な印象すら覚えました」かくして、こういった時代錯誤のような習慣は廃止になったはず
だったのだが、実際は、そうではなかったのだ。「結局、なにも変わっていませんでした。
そもそも、こういった過度な習慣こそが、“伝統”でもあったのです」と語るのは、OB記者である。
実は、それら“伝統”は、週刊誌上で何度となく報じられていた。「1986年のことです。歌劇団内部で、
何やら新興宗教が流行していて、それに入らないと役がもらえないとの噂が伝わってきたことがありました」
それが《歌劇を操る「新興宗教」》という同誌のスクープ記事だった(1986年10月16日号)。
「この情報は同時に複数のルートから入ってきました。いまだからいえますが、
そのひとつが、作家さんでした」作家の2人の娘さんは、ともに歌劇団に在籍していた。
ちなみに夫人も元タカラジェンヌである。そのせいか、意外と内部情報に詳しかった。
記事中でこんなコメントを寄せている。《「二年ぐらい前ですか、娘から“お父さん、
って何なの”と聞かれましてね。最近、よく耳にするというんです。僕は全然知らなかったから、
“決して入っちゃいけないよ”と諭しましたが」》「もう少し詳しくご存じでした。
当時、組のトップが宗教に凝っていて、後輩たちに入信を勧めるので、みんな困惑している。
従わないといい役につけないので、続々と入信しておりというような噂でした」
華やかな乙女たちを虜にする宗教とは、どんなものなのか。この記者氏は、
さっそく本部へ行ってみたという。「そうしたところ、あまりに小さくて地味な宗教なので、
拍子抜けしてしまいました。本部といってもふつうの家で、昭和28年設立。
法華経を唱える先祖供養の団体でした。会費も月50円(現在は100円)で、寄付も賽銭もお断り。
なぜこのような新興宗教にご執心なのか、最初は理解に苦しみました」その理由は、判明した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています