1.ほとんどの日常生活は例えば湯呑みを掴んで口元に持って行くなどや、花の水やりにジョーロに水を汲むなどというように生活に側してた行動である。掴む、運ぶ、などの動作自体にしっかり意味がある行動である。
動作に意味を関連づけて生活することができた。

2.スマホの操作これはただ指を何もない板の上でぽちぽち叩きつけるだけの動作であり、画面の方が動いてくれる。
ぽちぽち叩きつけるだけの動作は思うところ、指の貧乏揺すりなどの行動と同様の、それ自体には意味のない行動である。スマホの操作には意味を関連づけられない。

3.つまりご老方はスマホなどが出現するまでは、意味のある(もしくは意味づけすることができる)行動で生活をしていた。意味を関連づけながら生活し、むしろそれでその中で、経験、学習、成長、最適化していき、
その意味のある中で生きるように調整されている。
そこにスマホや機械類などという、操作自体に意味のない物が現れた。ぽちぽち板の上で指を貧乏揺すりするだけで電話がかかり文通ができ世界の情報を検索できる。
電話をかけるには昔は受話器を取ってダイヤルを回さなければならなかった。
文通をするには手紙と封筒と切手を買って、時候の挨拶から自分の身の回りのこと、その下に本題を書き、締めの文を添えて自筆で書き、ポストに入れなければならなかった。
世界の情報を検索するなら外国語を学び、ガイドを雇い、その国に実際に行って直接関係者に聞くなどしなければならなかった。
そういった本来やるべき行動、本来それを実現する上でスマホをポチポチじゃない、ちゃんと意味のある行動、「これやりたいから、だからこうする」という行動をせずに、スマホは意味のない動作だけで何でもできるのである。
ご老方はスマホをポチポチする意味のない行動と、それをして実際に行える電話、文通、検索などの能動の意味を関連づけられない。

4.そう、「意味のないもので育ってきたか、意味のあるもので育ってきたか」、「意味のないものを意味に結びつけられるか、意味のあるものしか意味に結びつけられないか」、若者とご老方の違いはそこである。
これがご老方がスマホや機械を使えない理由の一つの可能性である。

5.余談としてご老方のほとんどは、スマホでなぜこんなことができるのか、どうなっているのかわからず、比喩として魔法の機械と言う人も多いと聞く。
スマホやインターネットの仕組みを知らない人は多い、子供や若者でもだ。ご老方よりは子供や若者の方が知っているだろうが、総じて知らないことの方が多い。
しかし子供や若者がそれを扱えるのはご老方とは違い、「意味のない行動を意味のある物事に結びつける力」「仕組みを知らないものをなにかに結びつける力」という今の時代の中で育まれた力が一重にあり、
ご老方のように「意味のない行動を学ぶことができない」「仕組みを知らないものを疑問無しに処理納得できない」という、
ご老方の生きてきた時代の中でご老方が経験し、はぐくまれた固定思考構造、固定思考前提、固定観念・概念があるからであるように思う。

6.ご老方がスマホや機械類を扱うときの対策:まっさらになる

以上です