【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】183次資料

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001日出づる処の名無し 2018/03/07(水) 00:48:39.97ID:hNrIKuS4
南京戦はありました。しかし南京大虐殺は誇大に歪曲されたプロパガンダであり、事実とは全く相容れません。
このスレの最終目標は犠牲者数を算定する事です。これは中共のプロパガンダに
対抗する最も有効な手段です。ただ無かったと声を大にしても説得力がありません。

●議論のルール
1.反論を大量スルーしておきながら質問を発してはいけません。
2.矛盾を指摘されたままの資料を再び根拠として使用してはいけません。
3.スレを読まずに論を主張してはいけません。
4.30万人か虚構かという二元論的議論をしてはいけません。
5.初歩的な事項に関するソースの提示を求めてはいけません。自分で調べましょう。

●基本リンク
南京大虐殺は嘘だ
http://www.history.gr.jp/nanking/
南京大虐殺の虚構
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/index.html
本宮ひろ志『国が燃える』捏造問題、山本弘「と学会」をウォッチングするHP
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/
南京事件 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/
WGIPに対抗する為の資料収集を目的とするサイト
http://1st.geocities.jp/nmwgip/index.html
南京事件-戦時国際法上合法説の詳解
http://www21.atwiki.jp/nankin1937/
【オイラの!】 2chネラーなりに一生懸命調べた南京事件【完全否定論】
http://oira0001.sitemix.jp/

【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】182次資料
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/asia/1518108492/

0419日出づる処の名無し2018/03/21(水) 16:29:04.36ID:106qX9hw
>>417
結局再侵略したのには違いねえなあw
フランスも同じやで?
そりゃ全く違うもんな、日本のは自衛だしなw
IDクルクル自演大朝鮮人w
だからなんだよその意味不明な改行はw

中華民国、張作霖・張学良の独裁時代

歳入の大部分は塩税と阿片
歳出の約8割は軍事費
足りない歳出を補ったのは、財産家に対する恐喝・強奪・誘拐
通貨の種類は100前後あったとも、満州各省同士で通用せず、発行しまくりで大インフレ

九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化

不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし

満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw

満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している。

そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、
東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」
と言って、満洲の確保に走った。
全中国の重工業の約90%を満洲が占めていたからだ。

1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まった。
こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。

0420日出づる処の名無し2018/03/21(水) 16:29:42.18ID:106qX9hw
wikiが正しいなら↓も事実ってことでおkだな?大朝鮮人w

大朝鮮人もよく引用するwikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84

一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また不戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、
国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略」の定義がおこなわれておらず、
第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか不分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、
中立国の権利義務など不明確な点を多く含んでいた。

条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、
それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。アメリカは1927年にニカラグアへ内政干渉しており、その積極的な役割をヘンリー・スティムソン(のち国務長官)がおこなっていた。
また1929年の大恐慌以降、30年から31年にかけて中南米20カ国で10回の革命が発生するなど現実的な事情を抱えていた[3]。
一方でアメリカのヘンリー・スティムソン長官は錦州および南満州問題に関する「スティムソン・ドクトリン」(1932年1月)において明示的に不戦条約(パリ平和条約)に言及し道義的勧告(moral suasion)に訴えた。

世界中に植民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。
国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関しては当事国が決めてよいのであり、事実上の空文と評されていた。

例えば、日本を代表する国際法家の信夫淳平は、第三十三回学士院恩賜賞を受けた戦時国際法講義に次の辛辣な不戦条約評を引用している。
「ケロッグ氏の原提案は戦の無条件的抛棄であった。然るに仏英両国の解釈の限定を受けたる結果として、本条約は最早や戦の抛棄を構成せざるものとなった。
当事国各自が勝手に解釈し、勝手に裁定する所の自衛という戦は、本条約に依り総て認可せられる。これ等の例外及び留保の巾さを考うるに於ては、
過去一百年間に於ける何れの戦も、また向後のそれとても、一つとしてその中に編入せられざるものありとは思えない。
本条約は戦を抛棄するどころか、之を公々然と認可するものである。戦なるものは過去に於ては、適法でも違法でもなき一種の疾病と見られた。
然るに今日は、この世界的の一条約に依り、事実総ての戦は公的承認の刻印を得たのである。本条約第一条の単なる抽象的の戦の放棄は、
本条約に付随する解釈に依りて認可せられたる具体的の戦の前に最早や之を適用する余地は全然無いのである。」(Borehard & Lage,Neutrality for the U.S.,pp.292-3)

信夫も不戦条約の解釈を分析した上で「自衛の果たして自衛なるやは、個人間の正当防衛が裁判所に依りて判定せらるるのとは異なり、戦を遂行する国自身が判定するのであるから、
自衛戦を適法と認むる不戦条約の下にありては、殆ど全ての戦は適法の戦として公認せらるるのである。
不戦条約は不戦どころか、大概の戦の遂行を適法のものとして裏書きするものである」と指摘し、不戦条約による戦争の違法化を否定した[4]。

0421日出づる処の名無し2018/03/21(水) 16:30:05.05ID:106qX9hw
普段はROM派wなんでそんなに他人の振りしたがるんだ?自演屑の大朝鮮人w
ならさっさと南京の話題に戻そうぜw

いわゆる「南京大虐殺」の最先端の議論では、「虐殺あった派」でさえ「民間人の大虐殺があった」という人は、 もう、ほとんどいません。
最新の、いわゆる「南京大虐殺」の議論の中心は、一旦とらえた敵兵の処刑に関する議論になっています。

■拘束した便衣兵(民間服を着た兵)の処刑。

組織的に降伏せず、軍人が民間服を着て逃亡を企てることは国際法違反で、 しかも敵対行為です。松井石根・中支那方面軍司令官は敵兵を対象とした
軍律を制定していなかったので、軍律審判の適用対象とはなりません。
仮に裁判にかけるとしても多人数を軍律審判にかける事は能力的に困難で あったと考えられ、この様な場合は、
軍事的必要により無裁判で処刑したとしても違法ではありません。

■便衣兵と間違えて民間人を処刑した可能性は否定できない。

兵士が民間服を着ると、兵士と民間人の違いが不明確になり、 民間人の犠牲者が増えてしまうから、
兵士が民間服を着用することは国際法で禁じられているのですから、
民間服を着て逃亡を企てていた多くの中国兵の行為が原因です。

■拘束した「軍服着用の正規兵」が多数で共謀して逃走を企てた場合。

俘虜(=条約により待遇を保証された者)であっても、多数が共謀して逃走を企てた場合は銃殺の対象となる。

■拘束した「軍服着用の正規兵」

大量の敗残兵をかかえた場合、食糧不足や収容施設の不足は、大量の敗残兵の管理を極めて困難にする事態で、しかも蒋介石軍の精鋭部隊が多く紛れ込んで
いたことも勘案すれば、もし仮に釈放すると、また武器を取って敵兵となり、また戦わなければならなくなり、味方に多くの戦死者が発生する恐れがあります。よって軍事的必要により処刑したとしても違法とはなりません。

まだ戦争は終わっていなかったのです。

批判されるべきは、
◆支那事変の発端である第二次上海事変を起こした蒋介石
◆日本軍の降伏勧告を無視した唐生智
◆安全区に侵入した中国便衣兵
◆中国便衣兵の安全区への侵入を許した安全区委員会 のほうです。

0422日出づる処の名無し2018/03/21(水) 16:31:11.95ID:106qX9hw
日中戦争は中国が始めた戦争な

8月11日〜12日
支那の偽装保安隊1万2000人が上海停戦協定を無視して協定線内に侵入し、
陣地構築を開始。
上海は俄然緊迫の度を増した

8月12日
蒋介石軍、日本総領事館と商社の電話線を切断する。

8月13日
蒋介石軍、租界から外に通じる道路を全て遮断する。日本軍との緩衝用に、多くの支那人一般市民も閉じ込められる。
支那便衣隊が日本の陸戦隊に対して、突如機関銃を浴びせた。
支那軍は数か所の橋を爆破するとともに砲撃を開始。

8月14日
支那爆撃機数機が上海上空に飛来、日本の陸戦隊本部、総領事館、軍艦、船舶の他、市街地にも爆弾を投下。

0423日出づる処の名無し2018/03/21(水) 16:32:15.55ID:106qX9hw
日本海軍陸戦隊は日本人居留区域を含む地域の警備に
当たっていたのですから応戦して当然です。
日本本土から援軍(上海派遣軍)が上海へ向かい、
蒋介石軍を追い払いました。
蒋介石は南京に逃げたので、増援の第10軍とともに南京を攻略。
蒋介石が武漢に逃げたので、日本軍は追撃して武漢も攻略。
次に蒋介石は重慶に逃げました。
日本軍は地上軍による重慶攻略を計画しましたが、
重慶が天然の要塞の地であることや兵站の問題もあり、
即時攻略は困難であるという結論に達し、重慶爆撃を行ないました。

中国には条約で欧米人・欧米10ヵ国軍もいたのに、
中国は、同じく条約でいた日本人・日本軍だけを攻撃してきました。
日本側は中国側に何度も和平を打診していたのですが、
アメリカが中国(蒋介石)に資金・武器を支援し続けていたので、
蒋介石は日本からの和平提案を拒否し続けました。
アメリカが蒋介石に武器輸送していた援蒋ルート(蒋介石支援ルート)を、
日本が仏印と条約を結んで日本軍が合法的に仏印に進駐して援蒋ルートを遮断
するとアメリカは、合法側・被害者側の日本に対しては
石油禁輸などの経済制裁を仕掛け、
中国大陸から日本だけ出て行けと、不当な事を言っていました。
日本は石油などの資源がないと国として立ち行かなくなるので、
蘭印の石油を武力で確保する決断をし、
その前にハワイのアメリカ艦隊が来るのを遅らせるために
真珠湾攻撃をして日米戦争となりました。
このように大東亜戦争は日本へのテロ攻撃で始まり、
日本への原爆テロ攻撃で終わりました。
支那事変から日米戦争までを総称して大東亜戦争といいます。

日本は攻撃されたから応戦、反撃したまでで、
攻撃されなかったならば「アジア開放のため」という理由だけで
日本から米英に戦争を仕掛けるはずはありませんでした。
1943年(昭和18年)11月6日の大東亜会議にて採択された
大東亜共同宣言で日本はアジア諸国の独立を承認していますので、
国際法上はアジアを解放したといえますし、同共同宣言において、
それを成すための戦争継続が明記されていますので、
アジア解放戦争で間違いありませんが、
日本からすればアジア開放が第一の目的ではなく、
第二次上海事変や援蒋、対日経済制裁という原因あっての大東亜戦争であり、
第一の目的は自存自衛であって、アジア解放はいわばその手段とも言えます。
(アジア開放で自由貿易できるようにして資源確保で生き延びるという事)
★昭和天皇の【大東亜戦争 開戦の詔勅】
を読んでも同じ認識でいらっしゃる事がわかります。

0424日出づる処の名無し2018/03/21(水) 16:33:57.89ID:106qX9hw
大虐殺=大朝鮮の国技

「中国大虐殺史ーなぜ中国人は人殺しが好きなのか」石平著
17世紀半ば、反乱軍を率いて四川省を占領した張献中(チョウケンチュウ)は
僅か数年で、当時600万人の四川の人口をほぼ絶滅させた。
山奥に逃げ、難を逃れた者はわずか1万8千人程度だという。
大殺戮の過程で、食料不足が発生すると、殺した住民たちの首を切り捨て、
その体は豚肉や羊肉のように大なべで調理し、兵士の食料とした。

住民が残り20万人程度となったころ、次の食料を求めて軍を移動するため、
張は、残り20万人の住民全員を、燻製や塩づけの兵糧とするよう兵士に命じた。
成都の街全体が「人肉加工場」に化したと云う。
石平氏によると、この張献中と毛沢東とは、その時代やイデオロギーは全く異なるとしても、
人民に対する残虐性や心の深層において酷似するという。
そして、そのキーワードが社会から排斥された「遊民」であり、主流社会にたいする恨みと報復心なのだと。
本書は日本人にわかりにくい、かの国の社会構造の一端を知る手がかりともなるだろう

0425日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:24:37.57ID:rVJpnjSZ
>>419
>結局再侵略したのには違いねえなあw
>フランスも同じやで?
>そりゃ全く違うもんな、日本のは自衛だしなw






インドネシアとの独立条約調印後にまで軍事進攻を継続したわけじゃないんで
形式的には再侵略じゃなく反乱鎮圧出動という名分だった。

第一次世界大戦前も後も中華民国領だった地域を勝手に制圧して傀儡政権デッチ挙げた満州事変とは同列には論じられないんだよw

君ももう少し両者の違いってやつを勉強してみることだなw
 

0426日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:28:04.54ID:106qX9hw
>>425
植民地だったインドネシアがいつオランダとの条約を反故にしたのかなあ?w
独立宣言したのは事実だしなあ
満州事変だって自衛だしな、蔑ろにされてた溥儀を主権者にいてるから正統性ありだしなw

IDクルクル自演大朝鮮人w
だからなんだよその意味不明な改行はw

中華民国、張作霖・張学良の独裁時代

歳入の大部分は塩税と阿片
歳出の約8割は軍事費
足りない歳出を補ったのは、財産家に対する恐喝・強奪・誘拐
通貨の種類は100前後あったとも、満州各省同士で通用せず、発行しまくりで大インフレ

九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化

不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし

満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw

満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している。

そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、
東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」
と言って、満洲の確保に走った。
全中国の重工業の約90%を満洲が占めていたからだ。

1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まった。
こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。

0427日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:29:09.59ID:106qX9hw
焦ると意味不明な>を入れるのは癖なのかい?w
それとも大朝鮮ブラウザの仕様なのかい?w

wikiが正しいなら↓も事実ってことでおkだな?大朝鮮人w

大朝鮮人もよく引用するwikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84

一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また不戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、
国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略」の定義がおこなわれておらず、
第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか不分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、
中立国の権利義務など不明確な点を多く含んでいた。

条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、
それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。アメリカは1927年にニカラグアへ内政干渉しており、その積極的な役割をヘンリー・スティムソン(のち国務長官)がおこなっていた。
また1929年の大恐慌以降、30年から31年にかけて中南米20カ国で10回の革命が発生するなど現実的な事情を抱えていた[3]。
一方でアメリカのヘンリー・スティムソン長官は錦州および南満州問題に関する「スティムソン・ドクトリン」(1932年1月)において明示的に不戦条約(パリ平和条約)に言及し道義的勧告(moral suasion)に訴えた。

世界中に植民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。
国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関しては当事国が決めてよいのであり、事実上の空文と評されていた。

例えば、日本を代表する国際法家の信夫淳平は、第三十三回学士院恩賜賞を受けた戦時国際法講義に次の辛辣な不戦条約評を引用している。
「ケロッグ氏の原提案は戦の無条件的抛棄であった。然るに仏英両国の解釈の限定を受けたる結果として、本条約は最早や戦の抛棄を構成せざるものとなった。
当事国各自が勝手に解釈し、勝手に裁定する所の自衛という戦は、本条約に依り総て認可せられる。これ等の例外及び留保の巾さを考うるに於ては、
過去一百年間に於ける何れの戦も、また向後のそれとても、一つとしてその中に編入せられざるものありとは思えない。
本条約は戦を抛棄するどころか、之を公々然と認可するものである。戦なるものは過去に於ては、適法でも違法でもなき一種の疾病と見られた。
然るに今日は、この世界的の一条約に依り、事実総ての戦は公的承認の刻印を得たのである。本条約第一条の単なる抽象的の戦の放棄は、
本条約に付随する解釈に依りて認可せられたる具体的の戦の前に最早や之を適用する余地は全然無いのである。」(Borehard & Lage,Neutrality for the U.S.,pp.292-3)

信夫も不戦条約の解釈を分析した上で「自衛の果たして自衛なるやは、個人間の正当防衛が裁判所に依りて判定せらるるのとは異なり、戦を遂行する国自身が判定するのであるから、
自衛戦を適法と認むる不戦条約の下にありては、殆ど全ての戦は適法の戦として公認せらるるのである。
不戦条約は不戦どころか、大概の戦の遂行を適法のものとして裏書きするものである」と指摘し、不戦条約による戦争の違法化を否定した[4]。

0428日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:29:25.88ID:106qX9hw
日中戦争は中国が始めた戦争な

8月11日〜12日
支那の偽装保安隊1万2000人が上海停戦協定を無視して協定線内に侵入し、
陣地構築を開始。
上海は俄然緊迫の度を増した

8月12日
蒋介石軍、日本総領事館と商社の電話線を切断する。

8月13日
蒋介石軍、租界から外に通じる道路を全て遮断する。日本軍との緩衝用に、多くの支那人一般市民も閉じ込められる。
支那便衣隊が日本の陸戦隊に対して、突如機関銃を浴びせた。
支那軍は数か所の橋を爆破するとともに砲撃を開始。

8月14日
支那爆撃機数機が上海上空に飛来、日本の陸戦隊本部、総領事館、軍艦、船舶の他、市街地にも爆弾を投下。

0429日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:40:21.96ID:vilQl8J5
ほんと我田引水な言い方するもんだな。

九カ国条約でもシナ領の尊重は謳われてるが、その領土がどの範疇
なのかは明確化されていない。

んで、『条約』っていうのは相互主義で、定められた権益の保全を、
シナは先に破ってるのだから、仮に満州がシナ領であっても、日本は一切非難されるいわれはない。

0430日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:48:54.30ID:nNbuaNPE
>>388
>信夫あんだけ引用してた癖にw

>    ==
>パール判事

> 
>>389
> 
>大××人もよく引用するwikiより







権威論証のつもりかもしれんが、パール氏だろうと信夫氏だろうと間違ってるものは間違ってる。

君がいくら引用してこようと、その言説が、国際社会による判定を示唆する部分を省いた断章取義的解釈でしかないという批判に対して、全く反論になってないw。

相手の反論を無視して同じ事を繰り返しているだけなんだよw。

(まあ、いつもの事ではあるんだけどw)
 

0431日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:50:50.02ID:106qX9hw
>>430
権威論証はてめえじゃねえかw
過去スレの自分の書き込み百回読み直して来いw
権威論証じゃなくて全部事実じゃねえか、おまえも引用するwikiにも書いてあるしなw

wikiが正しいなら↓も事実ってことでおkだな?大朝鮮人w

大朝鮮人もよく引用するwikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84

一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また不戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、
国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略」の定義がおこなわれておらず、
第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか不分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、
中立国の権利義務など不明確な点を多く含んでいた。

条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、
それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。アメリカは1927年にニカラグアへ内政干渉しており、その積極的な役割をヘンリー・スティムソン(のち国務長官)がおこなっていた。
また1929年の大恐慌以降、30年から31年にかけて中南米20カ国で10回の革命が発生するなど現実的な事情を抱えていた[3]。
一方でアメリカのヘンリー・スティムソン長官は錦州および南満州問題に関する「スティムソン・ドクトリン」(1932年1月)において明示的に不戦条約(パリ平和条約)に言及し道義的勧告(moral suasion)に訴えた。

世界中に植民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。
国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関しては当事国が決めてよいのであり、事実上の空文と評されていた。

例えば、日本を代表する国際法家の信夫淳平は、第三十三回学士院恩賜賞を受けた戦時国際法講義に次の辛辣な不戦条約評を引用している。
「ケロッグ氏の原提案は戦の無条件的抛棄であった。然るに仏英両国の解釈の限定を受けたる結果として、本条約は最早や戦の抛棄を構成せざるものとなった。
当事国各自が勝手に解釈し、勝手に裁定する所の自衛という戦は、本条約に依り総て認可せられる。これ等の例外及び留保の巾さを考うるに於ては、
過去一百年間に於ける何れの戦も、また向後のそれとても、一つとしてその中に編入せられざるものありとは思えない。
本条約は戦を抛棄するどころか、之を公々然と認可するものである。戦なるものは過去に於ては、適法でも違法でもなき一種の疾病と見られた。
然るに今日は、この世界的の一条約に依り、事実総ての戦は公的承認の刻印を得たのである。本条約第一条の単なる抽象的の戦の放棄は、
本条約に付随する解釈に依りて認可せられたる具体的の戦の前に最早や之を適用する余地は全然無いのである。」(Borehard & Lage,Neutrality for the U.S.,pp.292-3)

信夫も不戦条約の解釈を分析した上で「自衛の果たして自衛なるやは、個人間の正当防衛が裁判所に依りて判定せらるるのとは異なり、戦を遂行する国自身が判定するのであるから、
自衛戦を適法と認むる不戦条約の下にありては、殆ど全ての戦は適法の戦として公認せらるるのである。
不戦条約は不戦どころか、大概の戦の遂行を適法のものとして裏書きするものである」と指摘し、不戦条約による戦争の違法化を否定した[4]。

0432日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:51:08.02ID:106qX9hw
IDクルクル自演大朝鮮人w
だからなんだよその意味不明な改行はw

中華民国、張作霖・張学良の独裁時代

歳入の大部分は塩税と阿片
歳出の約8割は軍事費
足りない歳出を補ったのは、財産家に対する恐喝・強奪・誘拐
通貨の種類は100前後あったとも、満州各省同士で通用せず、発行しまくりで大インフレ

九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化

不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし

満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw

満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している。

そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、
東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」
と言って、満洲の確保に走った。
全中国の重工業の約90%を満洲が占めていたからだ。

1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まった。
こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。

0433日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:52:14.57ID:dmKHo5Op
ほい。
ttps://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/22899/p074.pdf

例えば、枢密院における
戦争放棄に関する条約精査委員会において、堀田正昭欧米局長は、


『米国の第二回公文において自衛権を自国領土の攻撃に対する防衛と解釈する
ような字句があるといっても、自衛権を自国領土の防衛に制限したので
はなく、”同公文中に自衛の手段か否かをその国が決定すべきものであり
その決定が正しいか否かは世界の世論の判断をまつほかない』


と明言しているために、日本もこの解釈を採ると述べている”


つまりケロッグのいってることとはそれが自衛権だと決定できる権利はあるけど
それが正しいかどうかは世界世論が決めること
日本もそれにならうっていってるんだよ、当の日本がw。

まあ要するに自己解釈権に決定権まで含まれていると拡大解釈してるだけのお話だから
愚にもつかない自己矛盾を起こしていることにいいかげん気付けやw
 

0434日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:55:59.24ID:106qX9hw
>>433
日本政府の最新の見解は↓なw
その国が決定する、ってのは変わりないなw
世界の世論なんてどうやって調べたの?w
植民地にされてた国の世論は調査したの?w

極東国際軍事裁判では、日本側弁護人の高柳賢三が、裁判所に提出した「検察側の国際法論に対する弁護側の反駁」(1947年2月24日第166回公判では全文却下全面朗読禁止、
1948年3月3〜4日第384〜385回公判にて全文朗読)の中で、各国の指導的政治家の言明、特にアメリカ上院におけるケロッグ長官およびボラー上院議員の明瞭かつ疑いの余地を残さない条約案の説明に照らして、
パリ不戦条約締約国の意思が次のようなものであったことを説明し、不戦条約が満州事変以降の日本の戦争を断罪し被告人を処罰するための法的根拠には成り得ないと論駁した[8]。
1.本条約は自衛行為を排除しないこと。
2.自衛は領土防衛に限られないこと。
3.自衛は、各国が自国の国防または国家に危険を及ぼす可能性あるごとき事態を防止するため、その必要と信じる処置をとる権利を包含すること。
4.自衛措置をとる国が、それが自衛なりや否やの問題の唯一の判定権者であること。
5.自衛の問題の決定はいかなる裁判所にも委ねられるべきでないこと。
6.いかなる国家も、他国の行為が自国に対する攻撃とならざるかぎり該行為に関する自衛問題の決定には関与すべからざること。

極東国際軍事裁判所インド代表判事のラダビノッド・パルは、パル判決書の中で不戦条約に関して博引傍証した上で次のように結論づけた[9]。

「国際生活において、自衛戦は禁止されていないばかりでなく、また各国とも、『自衛権がどんな行為を包含するか、またいつそれが行使されるかを自ら判断する特権』を保持するというこの単一の事実は、
本官の意見では、この条約を法の範疇から除外するに十分である。ケロッグ氏が声明したように、自衛権は関係国の主権下にある領土の防衛だけに限られていなかったのである(中略)。

本官自身の見解では、国際社会において、戦争は従来と同様に法の圏外にあって、その戦争のやり方だけが法の圏内に導入されてきたのである。
パリ条約は法の範疇内には全然はいることなく、したがって一交戦国の法的立場、あるいは交戦状態より派生する法律的諸問題に関しては、なんらの変化をももたらさなかったのである。」



はい、大朝鮮人脂肪w

0435日出づる処の名無し2018/03/21(水) 17:59:01.12ID:I9ieNwDp
>>429
>ほんと我田引水な言い方するもんだな。

>九カ国条約でもシナ領の尊重は謳われてるが、その領土がどの範疇
>なのかは明確化されていない。

>んで、『条約』っていうのは相互主義で、定められた権益の保全を、
>シナは先に破ってるのだから、仮に満州がシナ領であっても、日本は一切非難されるいわれはない。







都合よく解釈するどころか、
いけしゃあしゃあとそういう嘘をいうのが負け犬根性だっていうんだよw

骨の髄までしみこんでるようだな。
条文はこうだ。


『支那の主権、独立並びにその領土的及び行政的保全を尊重すること』


つまり満州が領土だという主張を中国がしたなら、それを尊重しろよって話だw。
  

0436日出づる処の名無し2018/03/21(水) 18:01:00.93ID:106qX9hw
>>435
だから何度も言わせんな、大朝鮮人w
シナの領土って具体的にどこまでだ?
事情変更の原則はどこいった?真っ先にシナが違反した事実は消せないよなw

九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化

不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし

満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw

満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している。

そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、
東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」
と言って、満洲の確保に走った。
全中国の重工業の約90%を満洲が占めていたからだ。

1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まった。
こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。

0437日出づる処の名無し2018/03/21(水) 18:23:14.76ID:GoRXxjAu
>>435
> 満州が領土だという主張を中国がしたなら、それを尊重しろよって話



ちょーwっ 中華民国が「ここは俺の領土だ」っつたら、締結国はそれに従う
なんて、そんな超絶権利を当時の列強が支那に与えるわけねーだろw。
 

0438日出づる処の名無し2018/03/21(水) 18:24:13.71ID:106qX9hw
>>437
だから自演するなら、その奇妙な改行やめろって何度言われれば・・・大朝鮮人w

だから何度も言わせんな、大朝鮮人w
シナの領土って具体的にどこまでだ?
事情変更の原則はどこいった?真っ先にシナが違反した事実は消せないよなw

九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化

不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし

満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw

満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している。

そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、
東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」
と言って、満洲の確保に走った。
全中国の重工業の約90%を満洲が占めていたからだ。

1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まった。
こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。

0439日出づる処の名無し2018/03/21(水) 18:24:41.15ID:106qX9hw
大虐殺=大朝鮮の国技

「中国大虐殺史ーなぜ中国人は人殺しが好きなのか」石平著
17世紀半ば、反乱軍を率いて四川省を占領した張献中(チョウケンチュウ)は
僅か数年で、当時600万人の四川の人口をほぼ絶滅させた。
山奥に逃げ、難を逃れた者はわずか1万8千人程度だという。
大殺戮の過程で、食料不足が発生すると、殺した住民たちの首を切り捨て、
その体は豚肉や羊肉のように大なべで調理し、兵士の食料とした。

住民が残り20万人程度となったころ、次の食料を求めて軍を移動するため、
張は、残り20万人の住民全員を、燻製や塩づけの兵糧とするよう兵士に命じた。
成都の街全体が「人肉加工場」に化したと云う。
石平氏によると、この張献中と毛沢東とは、その時代やイデオロギーは全く異なるとしても、
人民に対する残虐性や心の深層において酷似するという。
そして、そのキーワードが社会から排斥された「遊民」であり、主流社会にたいする恨みと報復心なのだと。
本書は日本人にわかりにくい、かの国の社会構造の一端を知る手がかりともなるだろう



満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw

満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している。

そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、
東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」
と言って、満洲の確保に走った。
全中国の重工業の約90%を満洲が占めていたからだ。

1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まった。
こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。

0440日出づる処の名無し2018/03/21(水) 18:24:56.72ID:106qX9hw
・軍事目標主義
地上兵力による占領の企図に対し抵抗しようとする(防守)都市に対しては無差別攻撃が許されるが、
無防守都市においては戦闘員及び軍事施設(軍事目標)に対してのみ攻撃が許され、非戦闘員及び非軍事施設(非軍事目標)に対する攻撃は許されず、
これに反すれば当然違法な戦闘行為となるという原則。

根拠条文
ハーグ陸戦規則第25条
「防守サレサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ 攻撃又ハ砲撃 スルコトヲ得ス。」
Art. 25. The attack or bombardment, by whatever means, of towns, villages, dwellings, or buildings which are undefended is prohibited.
※条文は、砲撃に限定していないことに注目。


・防守都市の要件
@占領を企図する地上兵力が近接していること
A敵の占領に対し抵抗しようとする勢力が存在すること

『戦争法の基本問題』田岡良一著

併し非戦闘員の生命尊重は決して絶対的の規則ではなく、只平和的人民を殊更に目標として之に向つて直接に武器を揮ふが如き極端に
非人道的なる行為のみが禁止せられるのであつて、敵軍隊への攻撃又は敵軍事施設の破壊に付随する傍杖としての一般人民の殺傷、
又は敵都市若くは敵国を降伏せしめる為の生活必需品の供給の遮断の如き手段は許されるのである。

0441日出づる処の名無し2018/03/21(水) 18:25:27.82ID:106qX9hw
んで、肯定派の依拠するバカじゃない国際法学者って誰なんだ?w
だから何度も言ってるやん、なんであーあー見えない聞こえないーなの?w
相手は中国の精鋭軍、解放予定だったのに暴動や火災まで起こしてるんだからなw軍事的必要ありだし、殺されて当然w
そもそも中国軍はまともに捕虜なんてとってなかったのにw
だから、佐藤論文が学術論文じゃないと馬鹿にするならおまえが論破してみればいいのにできないから権威に頼る、基地外中国人w 佐藤和男以上の国際法学者を出せないゴミだらけの肯定派w
こちらはおまえのコピペにも反論してやったのにw
IDクルクルチェンジの基地外中国人が愛する匿名日記でも処刑の理由なんて書かれておらずw大寺日記は伝聞
天野軍事郵便なんて虐殺の記述もなしw
プカプカ浮きながら流れてる数万の遺体やエンジン付きの30隻の大船団が大忙しで下関を行ったり来たりしてるのは目もくれず
河辺に一帯にあるという2000〜3000の遺体を記者数人と将校が大事のように目撃証言しかつ、それらを偶然にも皆35000人の遺体と見間違う
魚雷営と大湾子では上流から数倍の捕虜が流れてるきてるはずなのにそんなものは誰も目撃せず、さらに20000人の遺体を
12月の揚子江なんて泳げば凍え死ぬのに、なぜか死亡確認のためガソリンを大量に消費しながら下流に流し一回に数体ぐらいしかできないという、鈎を引っ掛けて、沖へ流す作業をして
しかも上海という大都市付近まで流れ着いても全く騒ぎにならず
100万歩譲って10万の遺体があろうが、焦土作戦による犠牲者なのか、督戦隊によるものなのか民間人のもなのかまったくわからないから無駄な努力というw

0442日出づる処の名無し2018/03/21(水) 18:25:45.98ID:106qX9hw
いわゆる「南京大虐殺」の最先端の議論では、「虐殺あった派」でさえ「民間人の大虐殺があった」という人は、 もう、ほとんどいません。
最新の、いわゆる「南京大虐殺」の議論の中心は、一旦とらえた敵兵の処刑に関する議論になっています。

■拘束した便衣兵(民間服を着た兵)の処刑。

組織的に降伏せず、軍人が民間服を着て逃亡を企てることは国際法違反で、 しかも敵対行為です。松井石根・中支那方面軍司令官は敵兵を対象とした
軍律を制定していなかったので、軍律審判の適用対象とはなりません。
仮に裁判にかけるとしても多人数を軍律審判にかける事は能力的に困難で あったと考えられ、この様な場合は、
軍事的必要により無裁判で処刑したとしても違法ではありません。

■便衣兵と間違えて民間人を処刑した可能性は否定できない。

兵士が民間服を着ると、兵士と民間人の違いが不明確になり、 民間人の犠牲者が増えてしまうから、
兵士が民間服を着用することは国際法で禁じられているのですから、
民間服を着て逃亡を企てていた多くの中国兵の行為が原因です。

■拘束した「軍服着用の正規兵」が多数で共謀して逃走を企てた場合。

俘虜(=条約により待遇を保証された者)であっても、多数が共謀して逃走を企てた場合は銃殺の対象となる。

■拘束した「軍服着用の正規兵」

大量の敗残兵をかかえた場合、食糧不足や収容施設の不足は、大量の敗残兵の管理を極めて困難にする事態で、しかも蒋介石軍の精鋭部隊が多く紛れ込んで
いたことも勘案すれば、もし仮に釈放すると、また武器を取って敵兵となり、また戦わなければならなくなり、味方に多くの戦死者が発生する恐れがあります。よって軍事的必要により処刑したとしても違法とはなりません。

まだ戦争は終わっていなかったのです。

批判されるべきは、
◆支那事変の発端である第二次上海事変を起こした蒋介石
◆日本軍の降伏勧告を無視した唐生智
◆安全区に侵入した中国便衣兵
◆中国便衣兵の安全区への侵入を許した安全区委員会 のほうです。

0443日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:01:17.15ID:aWw/qugm
>>437
>ちょーw 中華民国が「ここは俺の領土だ」っつたら、締結国はそれに従う
>なんて、そんな超絶権利を当時の列強が支那に与えるわけねーだろ。



誰がそんなこといったんだ?
尊重すると条約文そのままの言葉をいったのだが?w

そんでそれに文句があるなら、9カ国会議にかけるなりなんなり話し合えとやっぱり条約にある。
尊重する=絶対に従えなんていってない。

だいたい、日本が「ここは中国の領土じゃない」っつたら、締結国はそれに従う
なんて、そんな超絶権利を当時の列強が日本に与えるわけねーだろってこった。
いけしゃあしゃあと嘘をいうのは止めろってw

ちなみに条約会議の話し合いの中での結論は皆が中国の領土と認めるところが領土だそうだ。
 

0444日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:02:45.55ID:CMMEUpGm
>>443
だから自演するなら、その奇妙な改行やめろって何度言われれば・・・大朝鮮人w

だから何度も言わせんな、大朝鮮人w
シナの領土って具体的にどこまでだ?
事情変更の原則はどこいった?真っ先にシナが違反した事実は消せないよなw

九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化

不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし

満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw

満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している。

そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、
東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」
と言って、満洲の確保に走った。
全中国の重工業の約90%を満洲が占めていたからだ。

1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まった。
こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。

0445日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:03:03.94ID:CMMEUpGm
権威論証はてめえじゃねえかw
過去スレの自分の書き込み百回読み直して来いw
権威論証じゃなくて全部事実じゃねえか、おまえも引用するwikiにも書いてあるしなw

wikiが正しいなら↓も事実ってことでおkだな?大朝鮮人w

大朝鮮人もよく引用するwikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84

一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また不戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、
国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略」の定義がおこなわれておらず、
第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか不分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、
中立国の権利義務など不明確な点を多く含んでいた。

条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、
それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。アメリカは1927年にニカラグアへ内政干渉しており、その積極的な役割をヘンリー・スティムソン(のち国務長官)がおこなっていた。
また1929年の大恐慌以降、30年から31年にかけて中南米20カ国で10回の革命が発生するなど現実的な事情を抱えていた[3]。
一方でアメリカのヘンリー・スティムソン長官は錦州および南満州問題に関する「スティムソン・ドクトリン」(1932年1月)において明示的に不戦条約(パリ平和条約)に言及し道義的勧告(moral suasion)に訴えた。

世界中に植民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。
国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関しては当事国が決めてよいのであり、事実上の空文と評されていた。

例えば、日本を代表する国際法家の信夫淳平は、第三十三回学士院恩賜賞を受けた戦時国際法講義に次の辛辣な不戦条約評を引用している。
「ケロッグ氏の原提案は戦の無条件的抛棄であった。然るに仏英両国の解釈の限定を受けたる結果として、本条約は最早や戦の抛棄を構成せざるものとなった。
当事国各自が勝手に解釈し、勝手に裁定する所の自衛という戦は、本条約に依り総て認可せられる。これ等の例外及び留保の巾さを考うるに於ては、
過去一百年間に於ける何れの戦も、また向後のそれとても、一つとしてその中に編入せられざるものありとは思えない。
本条約は戦を抛棄するどころか、之を公々然と認可するものである。戦なるものは過去に於ては、適法でも違法でもなき一種の疾病と見られた。
然るに今日は、この世界的の一条約に依り、事実総ての戦は公的承認の刻印を得たのである。本条約第一条の単なる抽象的の戦の放棄は、
本条約に付随する解釈に依りて認可せられたる具体的の戦の前に最早や之を適用する余地は全然無いのである。」(Borehard & Lage,Neutrality for the U.S.,pp.292-3)

信夫も不戦条約の解釈を分析した上で「自衛の果たして自衛なるやは、個人間の正当防衛が裁判所に依りて判定せらるるのとは異なり、戦を遂行する国自身が判定するのであるから、
自衛戦を適法と認むる不戦条約の下にありては、殆ど全ての戦は適法の戦として公認せらるるのである。
不戦条約は不戦どころか、大概の戦の遂行を適法のものとして裏書きするものである」と指摘し、不戦条約による戦争の違法化を否定した[4]。

0446日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:05:36.05ID:CMMEUpGm
中国の国技=侵略・虐殺・略奪・独裁・弾圧

1949年 東トルキスタン侵略、占領(ウイグル大虐殺)、民族浄化継続中(テロで抵抗)
 1950年 大躍進、文化大革命3000万人大虐殺
 1950年 朝鮮戦争参戦
 1951年 チベット侵略、占領(チベット大虐殺)、民族浄化継続中
 1959年 インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領
 1969年 珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突
 1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
 1974年 ベトナム、パラセル諸島(西沙諸島)を軍事侵略、占領
 1976年 カンボジア、クメール・ルージュによる大虐殺を強力支援
 1979年 ベトナム侵略(中越戦争)、中国が懲罰戦争と表明
 1988年 スプラトリー諸島(南沙諸島)を軍事侵略、占領
 1989年 天安門事件
 1992年 南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言
 1995年 フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領
 1996年 台湾総統選挙恫喝、台湾沖にミサイル攻撃
 1997年 フィリピンのスカーボロ環礁の領有を宣言
 1997年 日本の尖閣諸島の領有を宣言
 2000年 中国の軍艦が日本列島を一周
 2005年 反分裂国家法を制定し台湾に対して武力行使を明言
 2005年 台湾問題に介入するなら核攻撃を行うとアメリカを恫喝
 2005年 沖縄は歴史的に中国のものと主張
 2007年 チベット暴動制圧
 2008年 韓国の離於島の領有を宣言
 2008年 日本の尖閣諸島領域の管轄を強化する。実行支配が重要と表明
 2009年 ウイグル暴動制圧
 2010年 日本の尖閣諸島(魚釣島)に関して日本と戦争すべきと主張
2014年 南シナ海へ侵略開始 (ベトナム フィリピン  マレーシア等)

0447日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:38:33.06ID:0Sn1iFba
>>431-432
でさw、1927年から東京裁判の判決がでるまでの約20年間にパールのいってるように自衛権は当事国だけが決められるから
他国が何を言おうと関係ないとかいって
連盟に反対票を投じるどころか討議を拒否した国がひとつでもありましたか?w

はっきりいえば拡大解釈してそういうことをいった判事がひとりいたけど
裁判で採用されることもなく、そもそも国際社会で受け入れられている解釈ではないで終わりなんだが?w

そんで自分で決められるなら世界世論のデメリットなんかないのに
なんでデメリットなのという答えをいい加減してくれませんかねw。

あと、おまえは引用を求めておいて論文を出してやったのに読んでないのか?w
それとも読んだけど理解できなかったのか?w

当の日本が例えば、枢密院における
戦争放棄に関する条約精査委員会において、堀田正昭欧米局長は、米国
の第二回公文において自衛権を自国領土の攻撃に対する防衛と解釈する
ような字句があるといっても、自衛権を自国領土の防衛に制限したので
はなく、
”同公文中に自衛の手段か否かをその国が決定すべきものであり
その決定が正しいか否かは世界の世論の判断をまつほかないと明言して
いるために、日本もこの解釈を採ると述べている”
としているんだが?w

0448日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:41:48.07ID:r6sSdU1U
>>447
はて、国連は不戦条約について決議する機関ではないわけだが?w
当事国の判断に留保されてる条約を国連で議論できるわけないよなw
だから有名無実な条約なんだしw

日本政府の最新の見解は↓なw
その国が決定する、ってのは変わりないなw
世界の世論なんてどうやって調べたの?w
植民地にされてた国の世論は調査したの?w

0449日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:42:00.98ID:r6sSdU1U
極東国際軍事裁判では、日本側弁護人の高柳賢三が、裁判所に提出した「検察側の国際法論に対する弁護側の反駁」(1947年2月24日第166回公判では全文却下全面朗読禁止、
1948年3月3〜4日第384〜385回公判にて全文朗読)の中で、各国の指導的政治家の言明、特にアメリカ上院におけるケロッグ長官およびボラー上院議員の明瞭かつ疑いの余地を残さない条約案の説明に照らして、
パリ不戦条約締約国の意思が次のようなものであったことを説明し、不戦条約が満州事変以降の日本の戦争を断罪し被告人を処罰するための法的根拠には成り得ないと論駁した[8]。
1.本条約は自衛行為を排除しないこと。
2.自衛は領土防衛に限られないこと。
3.自衛は、各国が自国の国防または国家に危険を及ぼす可能性あるごとき事態を防止するため、その必要と信じる処置をとる権利を包含すること。
4.自衛措置をとる国が、それが自衛なりや否やの問題の唯一の判定権者であること。
5.自衛の問題の決定はいかなる裁判所にも委ねられるべきでないこと。
6.いかなる国家も、他国の行為が自国に対する攻撃とならざるかぎり該行為に関する自衛問題の決定には関与すべからざること。

極東国際軍事裁判所インド代表判事のラダビノッド・パルは、パル判決書の中で不戦条約に関して博引傍証した上で次のように結論づけた[9]。

「国際生活において、自衛戦は禁止されていないばかりでなく、また各国とも、『自衛権がどんな行為を包含するか、またいつそれが行使されるかを自ら判断する特権』を保持するというこの単一の事実は、
本官の意見では、この条約を法の範疇から除外するに十分である。ケロッグ氏が声明したように、自衛権は関係国の主権下にある領土の防衛だけに限られていなかったのである(中略)。

本官自身の見解では、国際社会において、戦争は従来と同様に法の圏外にあって、その戦争のやり方だけが法の圏内に導入されてきたのである。
パリ条約は法の範疇内には全然はいることなく、したがって一交戦国の法的立場、あるいは交戦状態より派生する法律的諸問題に関しては、なんらの変化をももたらさなかったのである。」



はい、大朝鮮人脂肪w

0450日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:42:24.47ID:r6sSdU1U
>>447
権威論証はてめえじゃねえかw
過去スレの自分の書き込み百回読み直して来いw
権威論証じゃなくて全部事実じゃねえか、おまえも引用するwikiにも書いてあるしなw

wikiが正しいなら↓も事実ってことでおkだな?大朝鮮人w

大朝鮮人もよく引用するwikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84

一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また不戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、
国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略」の定義がおこなわれておらず、
第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか不分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、
中立国の権利義務など不明確な点を多く含んでいた。

条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、
それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。アメリカは1927年にニカラグアへ内政干渉しており、その積極的な役割をヘンリー・スティムソン(のち国務長官)がおこなっていた。
また1929年の大恐慌以降、30年から31年にかけて中南米20カ国で10回の革命が発生するなど現実的な事情を抱えていた[3]。
一方でアメリカのヘンリー・スティムソン長官は錦州および南満州問題に関する「スティムソン・ドクトリン」(1932年1月)において明示的に不戦条約(パリ平和条約)に言及し道義的勧告(moral suasion)に訴えた。

世界中に植民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。
国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関しては当事国が決めてよいのであり、事実上の空文と評されていた。

例えば、日本を代表する国際法家の信夫淳平は、第三十三回学士院恩賜賞を受けた戦時国際法講義に次の辛辣な不戦条約評を引用している。
「ケロッグ氏の原提案は戦の無条件的抛棄であった。然るに仏英両国の解釈の限定を受けたる結果として、本条約は最早や戦の抛棄を構成せざるものとなった。
当事国各自が勝手に解釈し、勝手に裁定する所の自衛という戦は、本条約に依り総て認可せられる。これ等の例外及び留保の巾さを考うるに於ては、
過去一百年間に於ける何れの戦も、また向後のそれとても、一つとしてその中に編入せられざるものありとは思えない。
本条約は戦を抛棄するどころか、之を公々然と認可するものである。戦なるものは過去に於ては、適法でも違法でもなき一種の疾病と見られた。
然るに今日は、この世界的の一条約に依り、事実総ての戦は公的承認の刻印を得たのである。本条約第一条の単なる抽象的の戦の放棄は、
本条約に付随する解釈に依りて認可せられたる具体的の戦の前に最早や之を適用する余地は全然無いのである。」(Borehard & Lage,Neutrality for the U.S.,pp.292-3)

信夫も不戦条約の解釈を分析した上で「自衛の果たして自衛なるやは、個人間の正当防衛が裁判所に依りて判定せらるるのとは異なり、戦を遂行する国自身が判定するのであるから、
自衛戦を適法と認むる不戦条約の下にありては、殆ど全ての戦は適法の戦として公認せらるるのである。
不戦条約は不戦どころか、大概の戦の遂行を適法のものとして裏書きするものである」と指摘し、不戦条約による戦争の違法化を否定した[4]。

0451日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:44:14.13ID:r6sSdU1U
日中戦争は中国が始めた戦争な

8月11日〜12日
支那の偽装保安隊1万2000人が上海停戦協定を無視して協定線内に侵入し、
陣地構築を開始。
上海は俄然緊迫の度を増した

8月12日
蒋介石軍、日本総領事館と商社の電話線を切断する。

8月13日
蒋介石軍、租界から外に通じる道路を全て遮断する。日本軍との緩衝用に、多くの支那人一般市民も閉じ込められる。
支那便衣隊が日本の陸戦隊に対して、突如機関銃を浴びせた。
支那軍は数か所の橋を爆破するとともに砲撃を開始。

8月14日
支那爆撃機数機が上海上空に飛来、日本の陸戦隊本部、総領事館、軍艦、船舶の他、市街地にも爆弾を投下。

0452日出づる処の名無し2018/03/21(水) 19:58:39.27ID:WpQVrQSR
>>430
>権威論証のつもりかもしれんが、パール氏だろうと信夫氏だろうと間違ってるものは間違ってる。

信夫淳平の「どの説」が「どのような根拠で」「誰に」間違っていると指摘されているんですかねえw

国際法学者の「誰に」そんな指摘をされていたんですかねえw
お前が自分に都合の悪いものだけを、脳内妄想で「間違っている」言ってるだけだろうw
(まあ、いつもの事ではあるんだけどw)

0453日出づる処の名無し2018/03/22(木) 01:02:00.35ID:/n2yg9TL
お、権威論証をしてるのを認めたぞwww

0454日出づる処の名無し2018/03/22(木) 01:28:01.50ID:nR70w7t7
>>453
いままで散々専門家ガー教科書ガー政府ガー言ってきたてめえのことか?
大朝鮮人w
さっさと自演再開しろよ、人類のゴミクズ、シナチョンw

0455日出づる処の名無し2018/03/22(木) 02:55:12.38ID:/n2yg9TL
お、キレたwww

0456日出づる処の名無し2018/03/22(木) 06:24:28.67ID:Rh7Nl+Tn
バカ否定派(ここにいる匿名のきちがいだけでなく東中野修道や阿羅健一や佐藤和男も含めて)がやってるのは単なる牽強付会でしかない

0457日出づる処の名無し2018/03/22(木) 06:27:32.84ID:Rh7Nl+Tn
>>451
中国にとっちゃただの自衛行為だからなぁ
戦争を始めたのは日本やで

0458日出づる処の名無し2018/03/22(木) 08:20:12.54ID:ALcFa7bX
>>456
自己紹介乙w

0459日出づる処の名無し2018/03/22(木) 08:54:21.81ID:nR70w7t7
>>457
日本にとってただの自衛なだけだが?大朝鮮人w

日中戦争は中国が始めた戦争な

8月11日〜12日
支那の偽装保安隊1万2000人が上海停戦協定を無視して協定線内に侵入し、
陣地構築を開始。
上海は俄然緊迫の度を増した

8月12日
蒋介石軍、日本総領事館と商社の電話線を切断する。

8月13日
蒋介石軍、租界から外に通じる道路を全て遮断する。日本軍との緩衝用に、多くの支那人一般市民も閉じ込められる。
支那便衣隊が日本の陸戦隊に対して、突如機関銃を浴びせた。
支那軍は数か所の橋を爆破するとともに砲撃を開始。

8月14日
支那爆撃機数機が上海上空に飛来、日本の陸戦隊本部、総領事館、軍艦、船舶の他、市街地にも爆弾を投下。

0460日出づる処の名無し2018/03/22(木) 08:54:37.83ID:nR70w7t7
>>455
いままで散々専門家ガー教科書ガー政府ガー言ってきたてめえのことか?
大朝鮮人w
さっさと自演再開しろよ、人類のゴミクズ、シナチョンw

0461日出づる処の名無し2018/03/22(木) 08:54:57.24ID:nR70w7t7
>>456
んで、肯定派の依拠するバカじゃない国際法学者って誰なんだ?w
だから何度も言ってるやん、なんであーあー見えない聞こえないーなの?w
相手は中国の精鋭軍、解放予定だったのに暴動や火災まで起こしてるんだからなw軍事的必要ありだし、殺されて当然w
そもそも中国軍はまともに捕虜なんてとってなかったのにw
だから、佐藤論文が学術論文じゃないと馬鹿にするならおまえが論破してみればいいのにできないから権威に頼る、基地外中国人w 佐藤和男以上の国際法学者を出せないゴミだらけの肯定派w
こちらはおまえのコピペにも反論してやったのにw
IDクルクルチェンジの基地外中国人が愛する匿名日記でも処刑の理由なんて書かれておらずw大寺日記は伝聞
天野軍事郵便なんて虐殺の記述もなしw
プカプカ浮きながら流れてる数万の遺体やエンジン付きの30隻の大船団が大忙しで下関を行ったり来たりしてるのは目もくれず
河辺に一帯にあるという2000〜3000の遺体を記者数人と将校が大事のように目撃証言しかつ、それらを偶然にも皆35000人の遺体と見間違う
魚雷営と大湾子では上流から数倍の捕虜が流れてるきてるはずなのにそんなものは誰も目撃せず、さらに20000人の遺体を
12月の揚子江なんて泳げば凍え死ぬのに、なぜか死亡確認のためガソリンを大量に消費しながら下流に流し一回に数体ぐらいしかできないという、鈎を引っ掛けて、沖へ流す作業をして
しかも上海という大都市付近まで流れ着いても全く騒ぎにならず
100万歩譲って10万の遺体があろうが、焦土作戦による犠牲者なのか、督戦隊によるものなのか民間人のもなのかまったくわからないから無駄な努力というw

0462日出づる処の名無し2018/03/22(木) 08:57:22.11ID:nR70w7t7
>>457
おい、IDクルクル自演大朝鮮人w
もうあの奇妙な改行は止めたのか?自演はやらんのか?w

権威論証はてめえじゃねえかw
過去スレの自分の書き込み百回読み直して来いw
権威論証じゃなくて全部事実じゃねえか、おまえも引用するwikiにも書いてあるしなw

wikiが正しいなら↓も事実ってことでおkだな?大朝鮮人w

大朝鮮人もよく引用するwikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84

一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また不戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、
国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略」の定義がおこなわれておらず、
第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか不分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、
中立国の権利義務など不明確な点を多く含んでいた。

条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、
それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。アメリカは1927年にニカラグアへ内政干渉しており、その積極的な役割をヘンリー・スティムソン(のち国務長官)がおこなっていた。
また1929年の大恐慌以降、30年から31年にかけて中南米20カ国で10回の革命が発生するなど現実的な事情を抱えていた[3]。
一方でアメリカのヘンリー・スティムソン長官は錦州および南満州問題に関する「スティムソン・ドクトリン」(1932年1月)において明示的に不戦条約(パリ平和条約)に言及し道義的勧告(moral suasion)に訴えた。

世界中に植民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。
国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関しては当事国が決めてよいのであり、事実上の空文と評されていた。

例えば、日本を代表する国際法家の信夫淳平は、第三十三回学士院恩賜賞を受けた戦時国際法講義に次の辛辣な不戦条約評を引用している。
「ケロッグ氏の原提案は戦の無条件的抛棄であった。然るに仏英両国の解釈の限定を受けたる結果として、本条約は最早や戦の抛棄を構成せざるものとなった。
当事国各自が勝手に解釈し、勝手に裁定する所の自衛という戦は、本条約に依り総て認可せられる。これ等の例外及び留保の巾さを考うるに於ては、
過去一百年間に於ける何れの戦も、また向後のそれとても、一つとしてその中に編入せられざるものありとは思えない。
本条約は戦を抛棄するどころか、之を公々然と認可するものである。戦なるものは過去に於ては、適法でも違法でもなき一種の疾病と見られた。
然るに今日は、この世界的の一条約に依り、事実総ての戦は公的承認の刻印を得たのである。本条約第一条の単なる抽象的の戦の放棄は、
本条約に付随する解釈に依りて認可せられたる具体的の戦の前に最早や之を適用する余地は全然無いのである。」(Borehard & Lage,Neutrality for the U.S.,pp.292-3)

信夫も不戦条約の解釈を分析した上で「自衛の果たして自衛なるやは、個人間の正当防衛が裁判所に依りて判定せらるるのとは異なり、戦を遂行する国自身が判定するのであるから、
自衛戦を適法と認むる不戦条約の下にありては、殆ど全ての戦は適法の戦として公認せらるるのである。
不戦条約は不戦どころか、大概の戦の遂行を適法のものとして裏書きするものである」と指摘し、不戦条約による戦争の違法化を否定した[4]。

0463日出づる処の名無し2018/03/22(木) 09:15:19.21ID:dz8TbAYi
>>456
ほらほら、話逸らしてないでさっさと答えろ、IDクルクル大朝鮮人w

佐藤氏だけじゃねえぞ?

『1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていたが、1949年条約はその考え方を根本的に修正し、
敵要員を捕獲した瞬間から最終的にそれらの者が解放送還されるまでの間、捕虜の待遇を与えるよう、その始終期を判然と定めた(第5条第1項)。』
足立純夫『現代戦争法規論』

佐藤氏がいってることとどう違うんだ?w

国際法はネガリスト方式ってのも知らねえのかよ、チョン族チャンコロw

>国際法上戦闘行為について一般に承認されている慣習法によれば、陸軍による砲撃については、防守都市と無防守都市とを区別し 、(中略)そして
>防守都市(中略)に対しては 無差別砲撃 が許されているが、

相変わらずの都合の悪い部分は見えない聞こえないーのチョン族屑チャンコロwww

本来は無差別攻撃やっても国際法上合法だったわけだが
(実際それをやったのがフィリピンや沖縄での米軍)
日本軍はわざわざ識別までやった超人道的な軍隊
チャンコロ軍とは月とスッポン
理解できるか?PTAと町内会を憎むナマポチョン族屑チャンコロwww

0464日出づる処の名無し2018/03/22(木) 09:16:22.99ID:dz8TbAYi
>>457
九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化

不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし

満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw

満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している。

そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、
東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」
と言って、満洲の確保に走った。
全中国の重工業の約90%を満洲が占めていたからだ。

1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まった。
こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。

0465日出づる処の名無し2018/03/22(木) 19:18:59.41ID:CZdKp3LF
???
>>449のどこが日本政府の見解なんだ?w

高柳とパールの個人的見解でしかないだろう。

うろ覚えで悪いが、高柳のような、当事国が自衛と言えば自衛論に対してはウェッブ裁判長が個別意見書で、オッペンハイムの国際法を引用して反論してたはずw。

0466日出づる処の名無し2018/03/22(木) 19:21:45.66ID:LowW5l6b
>>465
うろ覚えw
日本側の弁護人なんだから日本側の主張にきまってんだろうが、大朝鮮人w
オッペンハイムの国際法でおkなら南京なんて完全合法になるけどそれでいいのか?権威論証の大朝鮮人w

wikiが正しいなら↓も事実ってことでおkだな?大朝鮮人w

大朝鮮人もよく引用するwikiより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%88%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84

一方で加盟国は原則として自衛権を保持していることが交渉の過程で繰り返し確認されており、また不戦条約には条約違反に対する制裁は規定されておらず、
国際連盟規約やロカルノ条約など他の包括的・個別的条約に依拠する必要があった。そのほかにも自衛戦争の対照概念たる「侵略」の定義がおこなわれておらず、
第一次大戦で多大な効力を発揮した経済制裁(ボイコット、拿捕や敵性資産の没収等)が戦争に含まれるのか不分明であり、また戦争に至らない武力行使、国際的警察活動(海賊やテロリストの取締、とくに他の締約国内での武力行使を伴う)、
中立国の権利義務など不明確な点を多く含んでいた。

条約批准に際し、アメリカは、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出した。またイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益にかかわることで軍事力を行使しても、
それは侵略ではないとの留保を行った。アメリカは自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言した。アメリカは1927年にニカラグアへ内政干渉しており、その積極的な役割をヘンリー・スティムソン(のち国務長官)がおこなっていた。
また1929年の大恐慌以降、30年から31年にかけて中南米20カ国で10回の革命が発生するなど現実的な事情を抱えていた[3]。
一方でアメリカのヘンリー・スティムソン長官は錦州および南満州問題に関する「スティムソン・ドクトリン」(1932年1月)において明示的に不戦条約(パリ平和条約)に言及し道義的勧告(moral suasion)に訴えた。

世界中に植民地を有するイギリスは、国益にかかわる地域がどこなのかすらも明言しなかった。
国際法は相互主義を基本とするので、「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」に関しては当事国が決めてよいのであり、事実上の空文と評されていた。

例えば、日本を代表する国際法家の信夫淳平は、第三十三回学士院恩賜賞を受けた戦時国際法講義に次の辛辣な不戦条約評を引用している。
「ケロッグ氏の原提案は戦の無条件的抛棄であった。然るに仏英両国の解釈の限定を受けたる結果として、本条約は最早や戦の抛棄を構成せざるものとなった。
当事国各自が勝手に解釈し、勝手に裁定する所の自衛という戦は、本条約に依り総て認可せられる。これ等の例外及び留保の巾さを考うるに於ては、
過去一百年間に於ける何れの戦も、また向後のそれとても、一つとしてその中に編入せられざるものありとは思えない。
本条約は戦を抛棄するどころか、之を公々然と認可するものである。戦なるものは過去に於ては、適法でも違法でもなき一種の疾病と見られた。
然るに今日は、この世界的の一条約に依り、事実総ての戦は公的承認の刻印を得たのである。本条約第一条の単なる抽象的の戦の放棄は、
本条約に付随する解釈に依りて認可せられたる具体的の戦の前に最早や之を適用する余地は全然無いのである。」(Borehard & Lage,Neutrality for the U.S.,pp.292-3)

信夫も不戦条約の解釈を分析した上で「自衛の果たして自衛なるやは、個人間の正当防衛が裁判所に依りて判定せらるるのとは異なり、戦を遂行する国自身が判定するのであるから、
自衛戦を適法と認むる不戦条約の下にありては、殆ど全ての戦は適法の戦として公認せらるるのである。
不戦条約は不戦どころか、大概の戦の遂行を適法のものとして裏書きするものである」と指摘し、不戦条約による戦争の違法化を否定した[4]。

0467日出づる処の名無し2018/03/22(木) 19:22:55.92ID:LowW5l6b
日本にとってただの自衛なだけだが?大朝鮮人w

日中戦争は中国が始めた戦争な

8月11日〜12日
支那の偽装保安隊1万2000人が上海停戦協定を無視して協定線内に侵入し、
陣地構築を開始。
上海は俄然緊迫の度を増した

8月12日
蒋介石軍、日本総領事館と商社の電話線を切断する。

8月13日
蒋介石軍、租界から外に通じる道路を全て遮断する。日本軍との緩衝用に、多くの支那人一般市民も閉じ込められる。
支那便衣隊が日本の陸戦隊に対して、突如機関銃を浴びせた。
支那軍は数か所の橋を爆破するとともに砲撃を開始。

8月14日
支那爆撃機数機が上海上空に飛来、日本の陸戦隊本部、総領事館、軍艦、船舶の他、市街地にも爆弾を

0468日出づる処の名無し2018/03/22(木) 19:23:13.15ID:LowW5l6b
中国の国技=侵略・虐殺・略奪・独裁・弾圧

1949年 東トルキスタン侵略、占領(ウイグル大虐殺)、民族浄化継続中(テロで抵抗)
 1950年 大躍進、文化大革命3000万人大虐殺
 1950年 朝鮮戦争参戦
 1951年 チベット侵略、占領(チベット大虐殺)、民族浄化継続中
 1959年 インド侵略(中印戦争)アクサイチン地方を占領
 1969年 珍宝島領有権問題でソ連と武力衝突
 1973年 中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
 1974年 ベトナム、パラセル諸島(西沙諸島)を軍事侵略、占領
 1976年 カンボジア、クメール・ルージュによる大虐殺を強力支援
 1979年 ベトナム侵略(中越戦争)、中国が懲罰戦争と表明
 1988年 スプラトリー諸島(南沙諸島)を軍事侵略、占領
 1989年 天安門事件
 1992年 南沙諸島と西沙諸島の全てが中国領土と宣言
 1995年 フィリピンのミスチーフ環礁を軍事侵略、占領
 1996年 台湾総統選挙恫喝、台湾沖にミサイル攻撃
 1997年 フィリピンのスカーボロ環礁の領有を宣言
 1997年 日本の尖閣諸島の領有を宣言
 2000年 中国の軍艦が日本列島を一周
 2005年 反分裂国家法を制定し台湾に対して武力行使を明言
 2005年 台湾問題に介入するなら核攻撃を行うとアメリカを恫喝
 2005年 沖縄は歴史的に中国のものと主張
 2007年 チベット暴動制圧
 2008年 韓国の離於島の領有を宣言
 2008年 日本の尖閣諸島領域の管轄を強化する。実行支配が重要と表明
 2009年 ウイグル暴動制圧
 2010年 日本の尖閣諸島(魚釣島)に関して日本と戦争すべきと主張
2014年 南シナ海へ侵略開始 (ベトナム フィリピン  マレーシア等)

0469日出づる処の名無し2018/03/22(木) 19:23:29.60ID:LowW5l6b
だから何度も言わせんな、大朝鮮人w
シナの領土って具体的にどこまでだ?
事情変更の原則はどこいった?真っ先にシナが違反した事実は消せないよなw

九か国条約・・・すでに蒋介石が北伐で違反犯してるし(あれ中華民国も現状変更したらダメという条約)
パール判事もいっていたように事情変更の原則でとっくに無効化

不戦条約・・・自衛戦争は留保してるしなにが自衛かは各国の判断に留保されるというシロモノ
シナ事変に関しては完全に日本が防衛側だし

満州国の遺産で成立したシナ畜w
そりゃ日本様に感謝もするよなw

満洲国は日本の敗戦ともに消滅した。
日本降伏の6日前に満洲国に侵攻したソ連軍は、全域の産業施設を略奪し、
本国に持ち帰った。
その金額は約8億9千5百万ドルにのぼると
アメリカ・ボーレー調査団は報告している。

そのあと、毛沢東は「もし、我々がすべての根拠地を失っても、
東北(満洲)さえあれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」
と言って、満洲の確保に走った。
全中国の重工業の約90%を満洲が占めていたからだ。

1945年10月になると、満洲争奪のための国民党と共産党と、
中国人同士が数十万人単位の死傷者を出して戦う凄惨な内戦が始まった。
こうして平和な高度産業国家として発展した満洲は
再び、略奪と戦乱の中華世界に飲み込まれていったのである。

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています