「インスタ映え」を気にするのはどんな人か。精神科医の片田珠美氏は「共通する特徴は自己愛の強さ」と指摘する。米トランプ大統領をはじめ、SNSにハマる人は、おしなべて自己愛が強い。そういう人は、米国でも日本でも増えつつあるが、その結果、思わぬ落とし穴にハマることもある――。

「インスタ映え」を気にする人の承認欲求と自己顕示欲求
今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」に選ばれた「インスタ映え」。「インスタ映え」を気にするのはどんな人だろうか。おそらくSNS上で、できるだけ自分の評価を高めたい人だろう。つまり、SNS上で“受けがいい”ことを狙う人が多いからこそ、この言葉が脚光を浴びたのだ。

“受けがいい”ことを狙うのは、ひとえに認められたいという承認欲求による。できるだけ多くの人に認められるには、注目を集めなければならないので、当然、自己顕示欲もからんでいる。承認欲求と自己顕示欲の根底に潜んでいるのは自己愛である。

精神科医である私の目には、現在の日本社会は自己愛がふくらんだ「自己愛過剰社会」のように映る。「自己愛過剰社会」の象徴が「インスタ映え」にほかならない。そこで今回は、この「インスタ映え」という言葉を自己愛という視点から分析したい。

▼「見て、見て、わたしを見て!」という欲望の表れ
インスタ映えが流行るのは、ネット上で注目を集めたい人が多いからだろう。つまり「見て、見て、わたしを見て!」という人が多いわけだが、この欲望が端的に表れたのが数年前の「バカッター騒動」(※)である。

※主にツイッター利用者が自らの反社会的行為を撮影・投稿し、世間にさらけ出す結果引き起こす騒動。「バカ」と「ツイッター」を合体させた造語。

コンビニの冷蔵庫の中に入った大学生。パトカーの屋根に乗った19歳の少年。食器洗浄機の中に入ったそば店の従業員……。このような行為を自ら撮影・投稿した結果、ネット上で拡散・炎上。投稿者が退学や解雇、さらには逮捕に至る騒動が相次いで起きた。

海外でも事情は同じで、2013年8月にはアメリカのフロリダ州で、妻を射殺し、血まみれの遺体の写真をフェイスブックに投稿した31歳の男が、警察に自首して逮捕された。

この男について、隣人の1人が「常にヒーローになる機会をうかがっているようだった」と語っている。極端な事例だが、この言葉こそ、インパクトがあり“受けがいい”写真をSNSに投稿する動機を解き明かす鍵になるのではないか。

SNSで簡単にヒーロー&ヒロインになれる時代
男性であればヒーローになりたい、女性であればヒロインになりたいという願望は、誰しも抱くものだ。だが、年を重ねれば、現実の世界でヒーローやヒロインになるのは簡単ではないと思い知らされる。だから、ほとんどの大人は、平凡であることに退屈しながらも、平々凡々とした毎日を送っている。

ところが、インターネットが出現して、状況が一変した。ヒーローやヒロインになることが不可能ではなくなったのだ。いまや、“受けがいい”写真、あるいは過激な発言をSNSに投稿すれば、ネット上では誰でもスポットライトを浴びられる時代である。

「将来、誰もが15分間は世界的な有名人になれるだろう」と、ポップアートの旗手、アンディ・ウォーホルが言ったのは1968年だが、当時はなかったSNSというツールを手にして、われわれはその気になればヒーロー願望もヒロイン願望も満たせるようになったのだ。
以下ソース
http://president.jp/articles/-/24092